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神への挑戦

 まず、旧約聖書ダニエル書の第7章をご覧下さい。
 
 http://www.tuins.ac.jp/~takao/cgi-bin/biblesearch.cgi?word1=dan+7:1-&dspnum=11&ver=2

 これは2800年前にダニエルという預言者が夢で知らされたことを記録したものですが、ここで現れる第四の獣と呼ばれるものが、古代ローマ帝国の復活を意味していると、いわれています。
 (ちなみに、この7章に人間の目のような目があり云々、という箇所がありますが、これはフリーメーソンを指しているかも知れません。) 

 しかし日本人は聖書に馴染みが薄いため、そして多くの人々は宗教的な書物と捉えているために、あまり知られていないようです。

 小生は聖書という書物は宗教のみではないということを知ってから、聖書に興味を持ちました。
 それは世界最古の書物であって、それは植物で例えると根っこの部分で、そこから政治、経済、文化、芸術、宗教、科学、思想など、あらゆる分野の土台となって、世界に伝播されたものだと教えていただいたからでした。

 ですから宗教の書物という捉え方は大きな間違いとなるのです。

 また、日本人的な発想で欧米人やイスラム諸国の人々の考え方を捉えることは出来ません。また、同様に中国や韓国人の考え方を捉えることは出来ないのです。

 一般的には旧約聖書からユダヤ教、イスラム教、キリスト教が生まれているといわれています。
 しかし、日本の神道や仏教においても、その影響を受けていると思われる部分が多々あります。

 それで、聖書に馴染みの深い欧米人の多くは、時代は始めがあって終わりがあるという観念を持っています。終末思想というものはそこから生まれたものであるようです。
 ところが日本的な考えでは時代は移り変われども、また元に戻るという循環的に捉えます。
 この違いがあることから、日本では終末思想というものが、理解し難いようなのです。

 そして聖書に馴染みが深い人々は聖書を「世界の時計」として捉えます。聖書に記録された事柄が、いつの時代を指しているのか。そして始まりから終わりの時代へ向かう流れの中で、「今」はどの辺りにいるのだろうか、・・そのようなことを考えるのです。

 そのような観点でダニエル7章を捉えると、古代ローマ帝国の復活は終末の時代が近づいたことを示すサインとなるようです。

 そして、その復活の前後に来るものが新約聖書の最後に書かれた黙示録の時代とされているのです。

 話は変わりますが、EUが今回のリスボン条約に向けて最初に会合を開いた場所はギリシャのテッサロニキという所であったと聞きました。
  
 http://74.125.153.132/search?q=cache:1fg6LKkgSCgJ:www.jetro.go.jp/world/europe/eu/basic_02/+%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%AD+%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%B3%E6%9D%A1%E7%B4%84&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
『上のサイトより一部を抜粋
 •2003年6月19〜20日、EU首脳会議(欧州理事会)、ギリシャ・テッサロニキで開催。「欧州の将来に関するコンベンション」提出のEU憲法草案を基本承認。移民・国境管理など人の自由移動に関する共通政策、EU 拡大、キプロス問題、西バルカン諸国との関係など、幅広い分野について討議。』
 
 
 それでテッサロニキという地名をインターネットで調べたら以下のようなことが書かれていました。

 「テッサロニキはアレキサンダー大王の古代マケドニア王国の中心地でもあり、大王ゆかりの遺跡をつないだ"アレキサンダー大王街道"をたどってみても、興味深い旅行となります。その上、ヨーロッパで最も早くからキリスト教が伝えられた地域で、原始キリスト教以来の宗教遺跡や宗教建築に貴重なものが数多くあります。
 現代のテッサロニキはモダンな商工業都市で、国際会議や国際見本市が度々開かれ、ビジネス客も多く集まってきます。」
 (ギリシャ政府観光局より)

 
 このギリシャのテッサロニキという地名はテサロニケとも呼ばれます。そして新約聖書にテサロニケ人の手紙 第二には以下の事が書かれていました。

 『 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。
   彼は、すべてを神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します』(テサロニケ第二、2章3、4節)

 『 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
   それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。 』(テサロニケ第二 2章9~12節)

 ・・・以上のように、テサロニケ第二には、やがて現れる独裁者とも言える人物のことが書かれていて、その独裁者が登場しなければ、次の時代への移行が始まらないと記録されているのです。
 そして神の宮の中に座を設けて、そこで我こそが神である宣言をするという部分を、多くの人々は中東和平の実現と、その後のエルサレムの神殿においての、その独裁者の豹変を告げているものと捉えています。

 そのような事柄や今回のリスボン条約へのEUの取り組みを見た場合、何故、ギリシャのテッサロニキにおいて、いちばん最初の首脳会議が行われるようになったのか、それはある意味因縁のようにも思えますし、EU合衆国を目指す者の神への挑戦のようにも感じ取れます。

 日本人はその多くが農耕民族で、「下座の行」を知っています。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉もその行いの美しさを伝える言葉であるのでしょう。
 そして聖書の中にも「高ぶる者は退けられる」とか「傲慢は滅びに先立つ」という言葉があります。
 
 新約聖書テサロニケはパウロという預言者が2000年前に記録したものですが、このパウロという人物は、サンヘドリンに属する人物でありました。
 サンヘドリンとはイエスを憎むユダヤの律法学者で、十字架に追いやった張本人でありましたが、このパウロに関しては、その立場を自ら戒め、イエスを受け入れた人物でありました。
 そのパウロがテサロニケに「不法の人の到来はサタンの働き」と記されたのです。

 もし、彼らの知恵の出所がパウロの告げた通りであるなら、彼らはある意図を持ってギリシャのこの地を選択したことになるのでしょう。
 しかし、それが何を意味していたかは、既に暴露されたことにもなります。

 このように聖書というたった一冊の書物を通して世界の動きを見たときに、ある種の符号のようなものを感じてしまうことがあります。
 それは、まさに不思議な書物でもありますが、この書物がベストセラーとして存在していることは認めざるを得なければなりません。

 そして、この書物が埋もれることなく、現代に至るまで存在してきたということは、そこには深い意味合いが込められていたことを知ることにも繋がりますし、馴染みの深い人々は、おそらくこのような発想を抱かれていると思われるのです。

 それで前々回から日記に書かせていただいた事柄は、そのような観点を元にしました。

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