« 古代ユダヤと司馬遼太郎 1 | トップページ | 多民族国家日本・その構造を探る 1 »

古代ユダヤと司馬遼太郎 2

 「 いま一度、日本を洗濯致し申し候」・・・。

 これは龍馬の有名な言葉のひとつでありますが、ある方は坂本龍馬を縦糸にし、古代ユダヤを横糸にして紡いでいくと、やがて坂本龍馬の夢見た世界が訪れると、述べられました。

 そして前回、その一部を紹介させていただきました。

 その続きを紹介します。

 『司馬遼太郎自身、「歴史探訪」で次のように述べたことがあった。
  「私は、『竜馬がゆく』という小説を書いて、最後の回を書き終わった時に、はっと気がついたことがあるんです。ああそうか、と思った。それは書かなければわからないことなので、小説というものは不思議なものです。書く時にわかっていないことが、書いてからわかることがあるんです。
 坂本龍馬にとっては明治維新を革命としたなら、革命というものは片手間だったということ -  他の革命家たちは西郷隆盛でも桂小五郎でも、火の粉の中では革命そのものを達成すべくやっているのに、龍馬にとってはそれは片手間な仕事だった、ということがわかった感じなんですね。それは長崎海援隊の視点で考えればわかります。」

 まさに龍馬には大きな夢があった。海援隊として世界に出て行き、そして世界的貿易をすることであった。もし世界の海に1万隻の船を浮かべるならば、日本の領土が1万増えるという考え方だったのである。
 そのためには政治的に無力となった徳川幕府を倒さなければならない・・・これが坂本龍馬が幕末に始動した背景とそのエネルギーの根源だったのである。

 龍馬は浪人の身であったが、薩摩と長州を動かして、いわゆる「薩長秘密同盟」を結ばしめたのである。
 当時、薩摩には米が不足していた。その米を長州から出させる。一方、長州は幕府の敵とされ、軍艦などを外国から買うことができなかった。それゆえに龍馬は海援隊を使って薩摩の名によって長州に外国から軍艦を購入してやったのである。
 お互い敵であった薩摩と長州が、経済的な結びつきによって、まさに奇蹟的な同盟を結んだのである。
 この薩長秘密同盟が成立した時、徳川幕府は崩壊したと考えてもよいであろう。
 やがて龍馬は大政奉還を成し遂げて行く。自らは浪人なるがゆえに、そのアイデアがどれほど素晴らしいものであっても、大政奉還の建白書を提出することはできない。それゆえに土佐藩の家老であった後藤象二郎に託して、土佐藩主を動かしめたのである。
 まさにこの大政奉還もまた幕末における大いなる奇蹟と言っても過言ではないであろう。

 薩長秘密同盟、そして大政奉還・・・新しい時代が目の前に近づいていたのである。その中で先に述べた坂本龍馬暗殺事件が発生した。

 龍馬が暗殺されたわずか2週間後に「王政復古の大号令」が出されたのであった。
 龍馬は海援隊をして世界の貿易を行う・・・その夢は同じ土佐藩の岩崎弥太郎において成就することになった。この岩崎が「三菱財閥」を作ることになったのである。

 来年2010年、NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、龍馬とこの岩崎弥太郎を1年間にわたって取り上げるのである。
 ついでながら同じNHKが、まもなく11月29日から約3年間をかけて司馬遼太郎の「坂の上の雲」を放映するのである。
 龍馬の夢を追い、一方においては生まれてまもない日本が、ロシアとの戦いにおいて勝利する夢が描かれていく。
 
 上昇気流に乗るという言葉があるが、いよいよマスコミをして日本において同じような上昇気流が起きることになる。

 さらに龍馬にはもうひとつの夢があった。それは北海道開拓である。ロシアに対する防衛、そして北海道における農業地を切り開くことだったのである。
 龍馬が暗殺され、そして明治維新の後、龍馬の親戚たちは続々として、あたかもその龍馬の言葉に従うかのごとく北海道へと渡って行った。

 
 司馬遼太郎が坂本龍馬以外に、最も力を入れた人物は高田屋嘉兵衛であった。彼は兵庫県淡路島に生まれ、まだ鎖国の時代にあった日本をして、ロシアとの外交政策を実行していったのである。もちろん高田屋嘉兵衛は日本での商人であったが、ある事件をきっかけにしてロシアとの外交交渉に当たらざるを得なかったのである。
 その小説が「菜の花の沖」である。
 司馬遼太郎はこの二つ、「竜馬がゆく」と「菜の花の沖」に持てるすべての力を費やしたのである。
 彼はその他、眠っていた多くの日本の英雄を次々に復活させるかのごとくに小説を書いていった。
 小説であるがゆえに、そこに描かれたのは歴史的事実と異なっているかもしれない。そうであるからこそ、そこに司馬遼太郎の夢とそのエネルギーが表れていたのである。

 彼は結果的に古代ユダヤの復活を多くの日本人に伝えていたのである。
 今日、多くの日本人は本を読まなくなってきている。毎年、本を読む読者層が減ってきているのである。
 その中でも断トツで、最も多くの人々が読み続けているのが司馬遼太郎の著作集である。

 世界は大きな変化を遂げる。その中において日本の最大の秘密は、古代ユダヤの血統が日本に生き続けているということである。
 司馬遼太郎の先祖は播磨の国、三木城の近くに住んだ武士である。三木といえば篭城戦で歴史に名を残した。
 彼の祖父、福田惣八は元々は三木姓だった。そして彼は明治になって大阪に出て来て、餅屋になっていたのである。かつて三木城が落ちてから、司馬遼太郎の先祖たちは兵庫県飾磨郡広という村で逃げ延び、他の城兵と共に湿地帯を開いて部落を造ったのであった。播州ではほとんどの家に落城後、逃げ落ちる時の恐怖噺が伝えられていて、話題の少ない農村では、まるできのうの事件のように語り継がれてきたのである。
 そしておそらく有史以来、播州の住民が体験した最大の事件が三木城落城だったのである。
 徳川中期には赤穂浅野家の騒ぎがあったが、規模の大きさにおいては比べることができないのである。
 
 徳川家康に遣わされた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の軍によって三木城は包囲された。数年間にわたる包囲である。そして三木城城主は別所長治であった。
 その時、長治は21歳の青年であった。戦国武士にしては珍しく古武士のような美意識を持っていた。戦国最後の名門の子であったからに相違ない。例え新興勢力の下風に立つとはいえ、大軍の先鋒を務めるということに武門の名誉を感じ続けたのである。
 一国の運命を単なる美意識にかけたというのも、乱世に類のない話といえるであろう。
 三木城は次第に孤城になっていったが、頼みにしていた毛利方の援軍は遂に来なかった。老獪な毛利は織田軍との大決戦に備えて、兵力の消耗を避けたのであろう。別所家は毛利のために大汗をかき、織田軍と戦いながら毛利の援軍を得ず、先の見込みもなく、何のために戦っているのかわからない状態になったが、それでも戦い続けたのである。
 驚くべきことにこの年は戦いに暮れ、翌年もその翌年も戦いが続いた。
 まさに狂気のごとき戦いであった。兵糧が尽き、草木を食い、壁を食い、遂に軍馬を食ったが、なお怯むことはなかったのである。長治の持つ貴族的な高雅さが、惨烈な篭城戦にあってよく部下を統率したのであった。

 そして遂に落城の時が来た。
 長治は孤城の士卒をことごとく本丸の広間に集め、長い戦いの労をいたわると共に、永訣の辞を述べ、翌日、庭に紅梅の咲く30畳の客殿に白綾の布団を引き、妻、波多野氏、男子2人、女子1人の子、そして実の弟夫妻と共に自害して果てた。
 その辞世は「いまはただうらみもあらじ諸人の命にかはる我身と思へば」であった。
 三木篭城の狂気ともいえる高潮した精神が、江戸期に入ってもなおこの地に息づき、浅野長矩の潔癖な狂気を生むと共に、その家臣団の中から赤穂浪士を生んだ。いずれも自分の美意識に殉ずるために家を捨て、身を滅ぼしていった。現に赤穂浪士の中には、三木城の篭城した者たちの子孫が幾人か混じっていたのである。
 三木の狂気が元禄に入って再び赤穂に現われたと言えなくもなかった。

 この別所氏も長治の妻を送った波多野氏(丹波・篠山)も古代ユダヤの子孫であった。
 まさに波多野氏は中国の秦氏の子孫である。
 当然、三木城において別所長治を支えた多くの人々の中に、古代ユダヤの子孫たちがいたであろう。それが三木城篭城となり、そして破れ、やがて散らされて行った人々の中には、その血液が生き続けていったのである。

 司馬遼太郎の文学は、そしてその血液はかくのごとく保たれ、かくのごとく姿を現わしたのである。

 来るべき2010年、世界は大動乱に入る。そのような時期に、日本においてもまたマスコミや様々なことを通して、古代ユダヤの復活を見ることができるのであろう。』(紹介終わり)

 古代ユダヤ・・・。

 そのような内容に触れたことで、 彼らは次の時代へ向かう時まで、日本の中で温存されたきたかのように感じております。

 そして、これから彼らは復活する。

 そんな予感がしてくるのです。

 司馬氏に対してこんな話を聞きました。  生前、彼をよく知るある人が、「もっと住みやすい場所に移られたらどうですか?」と進言されたことがあったそうなのです。
 
 未開放部落と呼ばれるところ。その地が彼の活動拠点であったそうです。
 
 

 この国で使われる漢字の中に「犠牲」という文字が存在します。

 漢字は中国から伝えられたものでありますが、この意味をよくよく考えてみるならば、これは誠に不思議なことで、中国や日本の文化をたどってもその文字が意味する事柄はどこにも見当たらないのであります。

  牛、羊、そして我。

 牛や羊が我の身代わり。「犠牲」の意味はそれを表した文字だと思われます。
 
 そして旧約聖書レビ記にそれは詳しく書かれていることから、聖書的な影響を受けた文字だと言えるのです。

 最後に坂本龍馬についてはフリーメーソンによって利用された人物、あるいはフリーメーソンだったという説が知られているようです。
 そして、それは説というよりもフリーメーソンとの接触があったことは紛れもない事実だったことが、裏付けられているようです。

 しかし、その事実はたとえ明確であったとしても、龍馬ははたしてフリーメーソンに利用されていたのでしょうか。

 もし、利用されていたのであれば、龍馬は何ゆえ暗殺されて、犯人が今も不明のままなのでしょうか。
 しかし、龍馬が彼らを利用した立場にあったとして、さらにはその事実に彼らが気付いたとしたら、彼らは一体どのような対処をするのでしょうか。

 どちらにしても真意を知ることは難しいことではありますが、別の見方をしたときに、見えない影の存在がぼやけているように感じたのです。

 

|

« 古代ユダヤと司馬遼太郎 1 | トップページ | 多民族国家日本・その構造を探る 1 »

日本の不思議」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1248068/32227162

この記事へのトラックバック一覧です: 古代ユダヤと司馬遼太郎 2:

« 古代ユダヤと司馬遼太郎 1 | トップページ | 多民族国家日本・その構造を探る 1 »