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多民族国家日本 4 (お上にとって危険な作家)

松本清張氏は小説ばかりではなく多くのジャンルを手掛けたが、その中で最も有名なのは「日本の黒い霧」である。
 彼のように小説家にして、現実的な事件、それも政治的な要素を含んだものを明らかにした人物はいないであろう。

 この点を小説家・杉浦明平氏は、次のように述べている。

 「・・・ところで、敗戦後の日本の権力をにぎっていたのは、いうまでもなく、ワンマンの聞こえ高かった吉田茂でも、わが優秀で不死身の官僚組織でもなく、マッカーサー将軍を総司令官とするアメリカ占領軍であった。
 『ゼロの焦点』では占領政治の落としていった悲劇がテーマとして取扱われていて、かつてやむなく売春婦におちたことのある女性をあわれ深く描いているとはいうものの、あの混乱と雑踏と変転をきわめた世界の政治図絵は、とうてい推理小説の狭い枠に納めきれるものではない。
 推理小説どころか、文学の世界全体として、まだそのような巨大な壁画は描かれていないし、描かれるかもしれぬといううわさもまだ耳にしたことがない。
 ということは、あの占領地下の日本に目くるめくように次々に継起した様々な雑多な大事件を、たれか作家がよくとらえ、よく消化して、自己の文字として吐き出すには、まだまだ相当に長い年月の経過を必要とするのだろう。いやそれどころか、どの重大事件についても、わたしたちはどれだけ真実を知っているのか。」

 「そういう意味で、松本清張の『日本の黒い霧』シリーズは、これら一連の怪事件の中にアメリカ占領軍の政策の変動やその謀略を導入したことで、画期的な意味をもっている。もちろんそれだけですべてが一挙に明らかになるというわけではなくとも、曖味模糊、もやもやとしていたことがらの輪郭がほぼ明らかになり、世の中には一般庶民の日常生活の常識では考えられないようなひどいことが起こりうることを教えた。
 また、政治は、政策や選挙だけでなく、外国の黒い力によって左右されるし、公平に治安を守るべき警察や検察庁もまたその力に動かされることが絶無ではないということも教えてくれた。」
 
 「・・・それどころか、米軍が占領をやめて引揚げたが、占領軍の友であり、しばしばその手先をつとめた日本の為政者や治安当局はその謀略のやりかたを学んだのではなかろうか。
 デッチ上げも日本人特有の繊巧さにアメリカ的科学性を加えたのではなかろうか。その徴候がかすかに見えないではない。
 『征服者のダイヤモンド』の末尾で、アメリカに押収された巨大な額のダイヤが現在も謀略の資金になっていてアメリカの謀略がどの辺で、いかなるかたちで行われているか、事件がおこってからでなければわからないと心配しているけれど、資金だけではなく、やりかたを日本の当局が身につけた以上、けちくさいかたちであろうが、いつでも奇怪な事件がおこるおそれがある・・・いやなことだが黒い霧は晴れ渡っていない」

 ここでいう「日本の黒い霧」とは何か。
 松本清張氏は何を取り上げたのか。下山国鉄総裁謀殺事件、白鳥事件、帝銀事件、松川事件、謀略朝鮮戦争、そしてレッド・パージなどであった。

 
 松本清張氏が死去した時、小説家・森村誠一氏は、その追悼文を次のように書いた。
 「作品の質量、影響力もさることながら、清張氏の偉大さはその姿勢にあるとおもう。氏は常に反体制的な姿勢を貫いてきた。作家は体質的に反権力であらねばならない。国民作家として、これほど偉大な貢献をしながら、お上からこれほど無視された作家も少ないだろう。
権力の庇護を受け、お上に迎合した御用作家の御用作品ほどつまらない作品はない。
 面白い小説は本質的に危険性を孕む。つまり氏はお上にとって危険な作家であったのである。お上から顕彰されないことが氏の栄光であり、作家としての本来の姿勢を貫き通したことを意味している。
 清張氏の作品の本質は、時代を投影し、人生と密着し、人間の謎の根源に肉薄し、我々日本人とその国のもつ弱味を焙り出してしまった。だからこそ危険な作家なのであり、その危険性こそ読者が求めていたものであった。」
 ちなみにこの論文は「サンデー毎日」に掲載された。そしてその題は「お上にとって危険な作家だった、松本清張氏」である。


 哲学者・鶴見俊輔氏も「半生の記」を解説して、次のように述べている。
 「小説家として最初の作品を世に送った時、彼は四十歳だった。つとめをやめて、小説に専念することにした時、彼は五十歳に近かった。
 修業時代が長かったというのではない。もともと、彼は、文学者になろうとして修業してきた人ではない。小説の懸賞金が必要だという実人生上の動機が、最初の小説を書くいとぐちとなった。その後百冊に余る著作も小説の名人と人から言われることを必ずしも目的としていないように見える。
 推理小説という様式をえらんだことからも来ているのだろうが、彼の作品は、専門の作家になってからも、彼が自分の人生を生きてゆく必要の中からうまれたものであり、また彼をとりまく社会の問題ととりくむ努力の中から生まれたものである。
 この意味で、彼は、明治以後の小説家の中でめずらしい人ではないかと思う。
 彼は、くりかえし、自分には、文学者たちとの親しい交友がないと書いている。文士生活二十余年の今日も、そうかどうかは、私にはわからないが、もしそうだとすれば、それは、彼の作品にひそんでいる特有のまなざしに由来しているように思える。」

 「彼は、家がまずしいために、小学校以上の学校に行けなかった。給仕をしているころ、もとの同級生が中学校の制服を着て歩いているのに出会うと、思わず物陰に入ってやりすごしたと書いている。印刷工となり、新聞社の広告部員になってからも、学歴のないことはくりかえし彼を上役の人々からへだてて、下積みの人間の中にかくれさせた。
 こうして彼は、後年の彼の小説のカメラ・アングルとなる黒い視点を下積みの仲間と共有することとなり、文学者としての彼のまなざしをこの期間に獲得する。
 だが、学歴なくして自分の才能に確信をもつ人のいくらかがするように、自分の過去をいつわろうとは決してしなかった・・・。
 学歴のないことについてたえず劣等感を感じながらも、彼が、いつもしっかりと立って、学歴にものをいわせる人びとの間でくらしていった力は、何によるものだろうか。」(「松本清張全集」第34巻・解説)

 

 旧約聖書に「血は命である」という言葉がある。
 血こそその人の性格を作り、人格を作り、命を支えるというのである。
 これを医学的な面で述べることもできるであろうが、血統という場合、思想までも受け継いでいるかのごとくに思われる。
 松本清張氏は亡くなった。しかし、彼は血を呼び醒ましたのである。
 古代ユダヤの思いを噴き出させたのである。
 松本清張氏は単なる小説家ではない。「見えざる手」によって支えられ、かつ用いられた人物であった。
 このような視点で日本の過去、そして日本の将来を探ることができる。

 日本のゆくえには何が待っているのであろうか。

(以上、情報誌「エノク」1999年11月号より)



 以上、長くなりましたが、10年前に日本の国家の成り立ちやその構造に触れられた宇野正美氏の論文を紹介しました。
 それから2年後、ニューヨークで起きた911によって世界の流れは急展開となり、今や米国は衰退させられいよいよ舞台はクライマックスに向うようです。
 そのような時代を知る意味において、これらの知らされることのない情報を知ることは、これからさらに展開される日本及び世界の動きに対しての心構えになるものではないかと思いました。
 そして最近、宇野氏は司馬遼太郎氏の事柄に触れられました。
 NHKは体制派と反体制派に分かれていると聞いたことがありますが、その中で来年の大河ドラマで坂本龍馬が取り上げられたということに今の時代に不思議な思いを抱かせてくれます。
 独りよがりかもしれませんが、これは古代ユダヤ人のいる日本においての覚醒の起爆剤になるようにも思います。
 
 そのようなことから、今回の日記を紹介させていただきました。

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