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米国人が語る、米国人の心と未来 1

『12月10日、ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーのオスロ市庁舎で行われた。

 その中で、バラク・オバマ大統領はノーベル平和賞を受賞した。オバマはその記念演説で「核兵器拡張を阻止し、核兵器のない世界を追及する取り組みが急務である」と、改めてその決意を表明した。
 そしてオバマは平和賞について「深い感謝と大きな慎みをもってこの名誉を受ける」と述べた上で、「私たちは今、戦争を遂行している。祖国から遠く離れた地で、生命を危険にさらしている若い兵士たちへの責任を私は負っている」として、イラクとアフガニスタンという「二つの戦争の最中にあるアメリカ軍最高司令官」としての立場に正面から言及した。
 さらに彼は、交渉では国際テロ組織アルカイダの指導者に武器を放棄させることはできないと対話の限界を語った。さらに戦争というものは、平和を維持する一定の役割を持っていること、そしてアメリカが先の大戦後60年間にわたり、血を流し、軍事を増強することで、世界の安全を支えてきたことを語ったのである。

 オバマは、明確に時には戦争が必要であることを公に語った。しかもノーベル平和賞授賞式においてである・・・。

 「ときには戦争は必要である」「アメリカを守るために必要なら、単独で行動する権利を保有する」と語り、世界の平和を維持するためには、平和を理想論としてとらえるだけではなく、人間社会の現実はさらに厳しいことを認めたのであった。
 
 アメリカの増派計画を受けて、NATO(北大西洋条約機構)加盟諸国もこれまでの消極姿勢を転換させて、約7000人の追加派兵を打ち出した。オバマが今回の演説で打ち出した、「正しい戦争」の概念に応えて、国際社会が世界的課題への対応で協調する具体的な形を示したと言える。
 
 これはなぜであろうか。

 オバマ自身が次のように述べた。
 「ときには武力が必要だということは、人間の不完全性や理性の限界を認めることである」と訴えたのである。
 「ルールや法律を破った国に対しては、暴力に替わる厳しい措置を編み出さなければならない」と指摘した。
 すなわちオバマは理想だけでは平和は来ない。なぜならば人間という者は「不完全性」を持っているものであるからということを明らかにした。

 これを人間の弱さと言おうか、あるいは人間の残虐性と言おうか、人間はある限界を超えると獣以上になる。そしてその歴史の中で、それが人類を滅ぼしてしまうとわかっていながらも、恐るべき核兵器を次々に生み出してきたのである。この地球上を100回も滅ぼしてもなお余りある核兵器を大量に造ってきた。

 北朝鮮はどれほど貧しい国であろうか。それでも核兵器を造り、次から次へと生物兵器や化学兵器を造っている。彼らはこれを「貧者の核兵器」などと言って自慢しているほどである。
 イランは疑われている。はたしてイランの核開発は核兵器製造に至るのか・・・・・特にイスラエルなどは疑心暗鬼である。それでいて自らは大量の核兵器を保有しているのである。周りのアラブ諸国を信用してはいない。そしてその歴史の中で多くの戦争を繰り返してきた。そして自らの国が核兵器を持つことは善であるという論理を展開している。

 これに対してイランは同じイスラム教徒として、パレスチナ人たち、あるいはアラブ諸国の今後を考える時に、イスラエルを崩壊させなければならないと意気込んでいるのである。自らの国がどれほど貧しくなろうと、反撃しなければならないとなお意気込んでいる。

 このような事実は、客観的に見るならばまことに「人間の愚かさ」ということに行き当たるであろうが、人類はそのような中で歴史を綴ってきた。そして今の時点でなお未来を見る時、大規模な戦争は避けがたいものと映るのである。


 オバマはなぜ人間の本質を見抜くようにして、「戦争もまた必要である」と、世界に向ってアピールしたのであろうか。取り方によっては非常に大胆な、また傲慢な響きを持っている。
 しかし、よく考えてみれば、彼は正しいということがわかる。
 それは歴史が証明するところであるがゆえである。
 同時に私たち欧米人には、オバマの気持ちが非常によくわかるのである。なぜならば私たちは共通の土台を持っている。それは世界最古の書物からきている。

 このことはヨーロッパ人だけではなく、ユダヤ人も知っていることであり、アメリカ人もロシア人もよくわかっていることである。

 では世界で一番古い書物とは何か。もちろん旧約聖書である。
 その旧約聖書には、人間とは「まったく不完全な者であり、創造主なる神から離れた者」と述べられているのである。
 親の手を振り切って、幼い子どもが、自らが勝手な道を歩くような状態であると述べているのである。ただ単に、子どもは親に対して逆らったというだけではなく、創造主なる神に対して反逆し、自らの力だけで人間は生きていけるとうそぶいてしまったのである。
 
 私たちの先祖が初めまだ二人、すなわち夫婦であった時に、創造主なる神に逆らった。神の言葉に従うよりも、自らの判断によって人生を切り開いて行くと豪語したのである。
 このような造り主に対して被造物が逆らった時、彼らに与えられたメッセージは非常に有名である。

 「土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
  土地は、あなたのために、いばらとあざみを生じさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
  あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。
  あなたはそこから取られたのだから。
  あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」

 私たちは人生を語る時、あるいは人類のこれからを語る時にも、この言葉をよく口にするものである。なぜならば人類歴史、人類社会の根本がここに凝縮されていると思うからである。
 なぜ人間は苦しんで生きなければならないのであろうか。

 「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは一生、苦しんで食を得なければならない」と述べられているがゆえである。
 文字どおり農業を営む者は、昔から顔に汗して糧を得なければならなかった。しかし、工業をなし、あるいはサービス業で人生を営む者も同じである。結局は「食を得る」ことだからである。

 そしてその結果として、すなわち汗を流しながら人生を生き、多くの矛盾を抱えながら人生を生き抜いて、その果てに何があるのか。

 「あなたは、額に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る」。

 すなわち、その果てにあるのは死であると述べているのである。

 これらのことを単純化すれば、人生とは苦しみの汗を流すことであり、その果てになんら報いられることもなく、「土に帰る」ということになる。

 人生の空しさを語っているのではない。人類よ目覚めよ、人類よ創造主なる神に立ち返れ。ちょうど放蕩息子が父親のもとに悔い改めて帰ってきたように、人類は創造主なる神のもとに帰って来なければならないという招きの言葉なのである。

 私たちは人生の目的がわからない。また私たちは歴史を綴っているが、その果てにあるのはまさに「あなたは土から取られたのだから土に帰る」の集大成であることがわかっているのである。

 オバマもこのことがわかっている。自分たち人間がいくら努力しても理想的な平和を築くことができない。かえって理想を求めることによって恐るべき、そして新しき争いが生じてくるということになる。

 これが欧米人たちのすべての共通点である。思想の根底にあることはこういうことなのである。

 これらのことをベースにするならば、オバマの「戦争もときには必要である」という言葉を理解することができるのである。
 自分たちは正しい、他の者は間違っているという傲慢な発想ではない。正義を維持するために、悪の蔓延を断たなければならないということを述べているのである。
 もちろんその時、正義とは何か、悪とは何か・・・・・という問題が生じることは明らかである。傲慢な者が、独裁的な政治家がその軍事力を掌中に収めるならば、世界は本当に恐ろしい状態となる。

 EU27ヵ国は今やひとつの政治機構の下に集められるようになった。確かにEUは、政治的にも経済的にも発展していくであろう。しかし、懸念されることがある。そのEUを誰がコントロールし、いかなる思想に基づいて世界の政治を指導していくのかということである。
 イスラエルは自らを善とすることで、繰り返しアラブ諸国に戦争を仕掛けてきた。しかし、戦争を仕向けられたアラブ諸国は、自分たちこそが正義であるという理想を持っているはずである。
 両者は打ち砕かれなければならない。両者はへりくだり、親である創造主なる神の下に帰って来るような状況が作られなければならない。

 これらのことは「行き着く所まで行く」ということになるであろうが、頭を打つことによって、人類は自分たちの空しさ、自分たちが創造主なる神から離れたことの愚かしさに気づかざるを得なくなるのである。

 私たちはそのような人類歴史の途中にある。オバマの演説をこのような思いで聞くならば、彼は正確に人類歴史をとらえていることを覚えさせられる。

 人類歴史の始まりに「死」が起きた。私たちの一番初めの人間たちはアダムとエバであると、旧約聖書で述べている。これを認める認めないかは別にしても、とにかく一番初めの夫婦から今日70億人に至る人間が増え広がってきたことは事実であろう。
 彼らアダムとエバの間から生まれてきた長男をカインといい、次男をアベルと呼んだ。

 カインはどのようなことをして人生を送ったのであろうか。彼は「土地を耕した」のである。これは非常に簡単な言葉ではあるが、大きな意味を含んでいる。
 なぜならば先ほど述べた創世記3章の言葉を思うならば、「土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない」。すなわち人類の代表であるわれらの父が、創造主なる神に背を向けた時、土地はすでにのろわれてしまったと述べているのである。その結果、人類は苦しみながら食を得なければならなくなった。しかし、このカインという人物はその土地を耕したのである。すなわち、「創造主なる神がのろったはずの土地を、私は耕すことによって素晴らしい楽園を作る」と宣言したのである。
 それゆえに彼は、創造主なる神に供え物を持って来る時に、「自らが耕した土地の産物」を持ってきたのである。

 彼には、そのところに自らの力を誇り、自らの計画を自慢し、そして創造主なる神に異議を唱えている姿を見ることができる。

 それに対して弟のアベルは何をしたのであろうか。彼は羊飼いになったのである。そしてその羊の中から最も立派で、最も美しいものを、創造主なる神への供え物として捧げたと述べられている。

 土地を耕すことと、羊を飼うことはまったく異なっている。土を耕すことが長男のカインの心を表しているとすれば、弟のアベルが羊を飼ったということは、自らの無力さを示しているのである。

 人間は羊の生命を作ることもできないし、羊の成長になんら手を加えることはできないのである。生命の不思議と言っても過言ではないであろう。
 今日ならば牛を飼い、羊を飼い、そしてそれがどれほどの儲けをもたらすかという概念で見られているかもしれないが、しかし、本来の牛や羊は非常に麗しく、人類の慰めとなったはずである。

 アベルは創造主なる神からの贈り物、すなわち美しい羊を、感謝を込めて捧げたのであった。 』

つづく

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