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終末論とは何か 4

そのようなユダヤ人の宿命といえるものに対して日本にいる古代ユダヤの人々は彼らとは異なります。

 それはイエスの十字架刑以前に祖国を離れた人々、そして紀元後に日本にやって来た秦氏と呼ばれる人々はイエスを受け入れた人々であったからです。ですからイエスに対しての憎しみを一切持たない人々なのです。

 しかし、その日本にいる古代ユダヤの人々も彼らと同じように祖国の地に帰るときがやって来ると思われます。今は考えられないことではありますが、モーセはそれを次のように述べていることから窺えるからです。

 「あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す」(旧約聖書「申命記」30.3~4)

 しかしその地は今のイスラエルではありません。
 本当の旧約聖書の舞台であった地は、今は砂漠化したサウジアラビアのアシールという地であって、そこに帰ると告げられているのです。
 そして、そのときその地は緑溢れるようになるとも告げられているのです。

 「あなたの神、主はあなたの先祖たちが所有していた地にあなたを連れていき、あなたはそれを所有する。主は、あなたを栄えさせ、あなたの先祖たちよりもその数を多くされる。
  あなたの神、主は、あなたのすべての手のわざや、あなたの身から生まれる者や、家畜の産むもの、地の産物を豊かに与えて、あなたを栄えさせよう。まことに、主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる」(旧約聖書「申命記」30.5~9)


 つまり、イエスがエルサレムで語った先ほどの言葉、それはユダヤ人が心を低くし、イエスを受け入れること。実はこれこそが終末というべきものではないでしょうか。
 終末とはユダヤ民族が元の姿になること。イエスに逆らい、神に反逆したユダヤ人が本来の選民の心に戻るということなのです。
 そのために人類の長い歳月が必要であったのです。そして彼らは多くの苦しみを受けなければならなかったし、これから第三次世界大戦を含めた大いなる艱難を通らなければならないのでしょう。
 このことを指して終末と言っていると思うのです。

 たしかに終末は大きな試練ではあります。しかし、それは世界が糺されること、本当のユダヤ人の心が正常な心に戻ることをいうのであります。
 そのことをイエスは2千年前に預言されていたのでしょうし、私たちは聖書を通して、その流れを知ることができるものであるのです。

 このようなイエスの預言の言葉の立場から、今日の中東情勢や世界の動きを見ると、どのような解釈になるのでしょうか。

 思えばなぜイスラエルという国が1948年に建国されたのでしょうか。そして建国の後、なぜ本当のユダヤの人たちは戻るようになったのでしょうか。
 それはイエスが彼らが悔い改める場所は明確に「エルサレム」であると述べたからです。
 そして1967年6月、第三次中東戦争によって、その当時のイスラエル指導者たちは全力でイスラエルの国家を防衛して、その結果としてエルサレムを奪還しました。
 イエスの言葉を思い出すとき、本当のユダヤ人が悔い改めるための舞台装置がこのとき完成に近づいたのです。

 そして今日、ユダヤ人に対する評価やイスラエルに対する評価は、以前とは全く異なってきています。
 どうしてナチス・ドイツにやられた民族がこのようにパレスチナ人を苦しめ続けるのか、なぜ占領下に置かれているパレスチナ人にイスラエルは占領地を返さないのか、彼らの先祖の地を返還しないのか、さらには食糧や水を止めて彼らを苦しめ続けているのか・・・。
 ユダヤ人たちはその歴史の中から何も学ばないだけでなく、彼らが痛めつけられたと言い続ける歴史は単なる作り事ではなかったのだろうかという声も出るようになってきているのです。

 そんなことを考えてみると2千5百年前のゼカリヤの預言も近未来に起きるのではないでしょうか。
 
 「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。
  その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向って集まってこよう」(旧約聖書「ゼカリヤ書」12.2~3)

 しかしだからと言って、ユダヤ民族が消滅することはありません。神は彼らを救う。神はユダヤ民族をその試練の中でも滅ぼさないと預言されているのです。
 
 「主は初めに、ユダの天幕を救われる。それは、ダビデの家の栄え、エルサレムの住民の栄えとが、ユダ以上に大きくならないためである。
 その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる」(旧約聖書「ゼカリヤ書」12.7~8)

 そして、彼らがその試練の中で、まさに危機一髪の時にイエスを救世主として受け入れることを預言しているのです。

 「その日、私は、エルサレムに攻めてくるすべての国々を探して滅ぼそう。わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵と哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」(旧約聖書「ゼカリヤ書」12.9~10)


 上記の預言がゼカリヤになされた5百年後、ユダヤ民族はイエスを十字架刑に送り、彼を釘で突き刺しました。そしてここで「彼らは自分たちが突き刺した者」と同格にして「わたしを仰ぎ見る」と述べられたことは、その突き刺された者が自らを指して「わたしを仰ぎ見る」ということになるのです。
 つまり彼らが刺し通した者こそが、「わたし」すなわち「ユダヤの救世主」であることがここで預言されていたのでした。

 そして近い将来、世界注視の中で、エルサレムにおいてこのことが起きるものとなるのでしょう。
 その衝撃の中で、ユダヤ人たちは「ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」と述べているのです。
 ユダヤ民族の2千年にもわたる苦しい歴史を、彼らはあたかも走馬燈のように思いだしていくのであります。

 ・・・はたして彼らが最大の絶望に陥るとき、エルサレムの東にあるオリーブ山に復活したイエスが現れるのでしょうか。そして彼らはそのとき彼らの先祖たちがイエスの手と足に打ち込んだ釘の痕を見るのでしょうか。そのときどのようなことが起きるのかは、私たちは想像でしかわかりませんが、ゼカリヤはそのことを告げているのです。

 ゼカリヤはユダヤ人たちが断末魔の叫びの中で、歴史の終わりに自分たちの救世主を仰ぎ見、同時に自分たちの歩んできた言葉を超えた苦難の歴史を思いだしながら、ひとりで泣くと預言したのです。


 「その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハタデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。
 この地はあの氏族もこの氏族もひとり嘆く。
 ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
 ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
 レビの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
 シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く」(旧約聖書「ゼカリヤ書」12.11~13)

 ここに「メギドの平地のハタデ・リモン」という言葉があります。
 これが一般にいうハルマゲドンであるのでした。ハルマゲドンは新約聖書の「ヨハネの黙示録」に出てくる言葉であります。
 そして全世界の軍隊がハルマゲドンに集まって白兵戦を展開します。それは世界歴史最大の悲劇であり、最大の叫び、苦しみなのです。

 そして、その後、生き残ったユダヤ人がエルサレムに集まる。これはゼカリヤが告げています。その時ユダヤ民族の一人一人が心から打ちひしがれ泣き崩れてしまうのでしょう。
 そしてこれで終末は終わりを告げ、新しい時代の始まりとなるのです。


 終末論は決して脅しではありません。また終末論は宗教の言葉として使うことはいけないのです。
 しかし、世界は現実的に終末の時代に入っています。

 ですから、終末論は聖書という最古の書物である最大の情報源の預言成就を指すものと捉えるべきであるのでしょう。 
 

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コメント

パレスチナ情勢の報道は偏っているのではないでしょうか。下のビデオはどう思われますか?
http://www.youtube.com/user/anprito#p/a/f/2/qdH0XxDEjG4

本当に反省しなければならないのはキリスト教徒だと思います。白人キリスト教徒は異邦人でさえない(イスラエルの離散した民)と思います。現在の教皇はいいですね。カトリックの伝統を守りながら、ユダヤ教とも対話できる人ではないでしょうか。

投稿: 匿名 | 2011年2月14日 (月) 11時33分

当方はイエスはキリスト教の開祖ではないと思っております。
キリスト教にしろ、ユダヤ教、イスラム教にしろその母体になったものが旧約聖書であっただけのことだと思います。
イエスは十字架にかけられたとき唯一の持ち物といえば着ているものでありました。
それさえもローマ兵によって奪われてしまった。
そのことを考えますと、バチカン宮殿などのきらびやかなものとは無縁のようにも思います。
また本当のユダヤ人は白人の人たちとは全く関係がないのではないでしょうか。
それよりも今日のイスラエルで虐げられるアラブ人の人こそユダヤ人であるとも思っています。

このコメントに対するお答えとはならないかも知れませんが、イエスの教えは宗教ではなかった・・・。
当方はそのように思っております。

投稿: げんき | 2011年4月20日 (水) 08時37分

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