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これからの生き方とは 5

「あやつられた龍馬」より

 『それでもなお、動乱の世を背負った龍馬は、まだパークスを取り違えていた。この危険な状況を払拭し、パークスはきっと武力革命を抑えてくれるだろうと、最後まで思っている。

 龍馬はひたむきだった。もつれ込んで、もつれ込んで、とうとう虎の尾を踏むようなことをしてしまったのである。

 幕府若年寄、永井玄蕃との密会だ。永井は、長崎海軍伝習所の最高責任者で、勝より上のポジションにあった。長崎出島のオランダ商館長、ドンケル・クルチウスが幕府に勧告して海軍伝習所ができあがったのだが、永井はそのトップであった。

 そのころ羽振りのよかったグラバー。ここにグラバー、龍馬、勝、永井という幕府の中枢に直結するラインが、すっと見えてくるのだが、その永井と龍馬の二人は暗殺前日にも密かに会っており、慶喜は、次の密命をその永井に下していたことが判明している。

 「坂本龍馬は尊王攘夷派で唯一、幕府に好感を持っている。新撰組と見廻組に、捕らえてはならないと、それぞれの筋に申し伝えよ」

 龍馬は、幕府にとっても平和革命の切り札になっていたのである。
 したがって新撰組と見廻組は龍馬を、お尋ね者のリストから外していたという噂は真実だと見ていい。
 伊東甲子太郎(かしたろう)を覚えているだろうか?
 新撰組の幹部だったが、抜けて尊皇攘夷派に鞍替えし、御陵衛士(ごりょうえじ)の頭になった男である。その伊東がふらりと、近江屋に立ち寄り、新撰組が龍馬を狙っているから注意せよと警告した件だ。

 たまたま居合わせた中岡は、それに同調したが、龍馬は苦々しい形相で伊東を睨んだ。これは有名な話だが、なぜ龍馬が苦々しく思ったのか?

 一般には、個人的に伊東を嫌っていたなどと解釈しているが、そうではない。もうお分かりだと思う。新撰組が、自分を襲撃しないという確かな情報を握っていたからだ。
 だから、したり顔で余計なことを口にした伊東を軽蔑したのである。
 いや、ひょっとすると、伊東の言葉に龍馬は、ぎくりとなったかもしれない。
 伊東は新撰組のターゲットから自分が外れたことを知っていて、皮肉って逆のことを言ったのではないか、と受け取ったとも思える。

 龍馬の立ち回りは見事だった。しかし、そこまでだ。

 龍馬は焦った。幕臣幹部との密会。この情報が、サトウ派英国情報網に捕まらないわけはない。決定的になった。龍馬は幕府もろとも葬らなければならない。逆を言えば、抹殺しなければならないほど龍馬には気力があり、存在が光っていたのである。

 サトウが吉井から「万事順調に進んでいる」という伝言を受け取ったのは、11月26日だ。暗殺の二週間前である。

 吉井は龍馬に、薩摩藩邸に移るようにとすすめておいて、サトウには「事態は順調に進んでいる」という報告を出している。その線を結べば、吉井による薩摩藩邸への誘いの目的は、龍馬の拉致か殺害と読める。嫌った龍馬は、それを断り、近江屋に息をひそめた。
 かくなるうえは刺客を送るほかはない。吉井を通して暗殺命令が下される。中岡慎太郎。そのための倒幕武装集団、陸援隊の隊長である。

 「徳川はもう死に体じゃ、これ以上兵を進める必要はない。話し合いで事はおさまる」

 「いや、徳川はもはや賊軍。徹底的に討つ。薩摩も長州も我が藩もそれで固まっている」

 「エゲレスは、望んでおらん」

 「サトウは武力を後押ししている」

 「パークスは・・・」

 「邪魔立てするか!」

 「まて!」

 「これ以上は問答無用、ごめん」

 龍馬暗殺は実行に移された。



 シャモを買いに行っていたという本屋の倅、峯吉が使いから帰ってきた。峯吉は驚いて、近江屋を飛び出る。知らせるために陸援隊本部に走ったという。そして血生臭い事件を聞いた陸援隊が駆けつける。事件後のストーリーは、なんとなくこんなかっこうでおさまっている。

 しかしこれも、あまりにもお粗末だ。

 峯吉が使いから近江屋に帰ってきた時、いったい現場には誰がいたのか?

 一般的な解釈では、下手人は逃げて、すでにいないはずだから、近江屋の主人井口夫婦ということになる。

 では、その井口は、惚けていただけなのだろうか?

 というのも、土佐藩邸は通りを挟んで向かいにある。普通なら、土佐藩邸に駆け込むだろうから、大勢の侍が現場に駆けつけ、近江屋を取り巻いてもおかしくないはずだ。しかしその気配はない。

 それに峯吉の行動だ。

 当夜を思い出して欲しい。12月10日の厳寒の最中。しかも深夜の雨。はたして峯吉が、今にも凍てつくような濡れた着物の裾を脚にからませながら、一時間以上もかけて陸援隊に走るだろうか?

 なぜ目と鼻の先にある土佐藩邸でなく、あるいは走れば五分の場所にある海援隊の根城ではなかったのか?事件を一刻も早くみんなに知らせたいなら、気の遠くなるくらい遠いところにある陸援隊本部には向わないのが自然である。一般的なストーリーには、まずこの謎が立ちはだかる。

 次はもっと重大な疑問だ。

 もし峯吉の行動が本当なら、斬られたのは300人を抱える陸援隊の隊長。陸援隊本部は騒然となるはずだ。その結果、隊員が大挙して近江屋に駆けつけ、翌朝まで、いや隊長の死が確認されるまで、面子にかけても近江屋を守っていたはずだ。

 それが武士のならわしというものだが、やはりそんな話はない。
 それに対して、当夜はあいにく、人は出払っていて陸援隊本部は田中くらいしかいなかった、という言い訳がある。
 しかし、かりに本部にいなかったとしても、陸援隊の性格上、ぜったいに緊急連絡網が敷かれていたはずである。ならば、それを手繰って人はあっという間に集まるはずだ。しかし、陸援隊が走り回ったという雰囲気はまったくない。

 先にも記したが、土佐藩にしても同じことだ。ことは龍馬、中岡の大物二人の暗殺事件であり、お家の一大事だ。藩士が警護に駆けつけて、大騒ぎになってしかるべきだが、しかし、近江屋はしんと静まりかえっているのだ。

 考えられることはただ一つ。

 峯吉はどこにも出かけていなかった。それ以外、近江屋におけるこの複雑怪奇な空気を説明できない。したがって陸援隊も海援隊も土佐藩も、この惨劇を知らなかった。そう推察すれば、何事もなく京都の夜が過ぎていった理由が見えてくる。

 峯吉がばたばたしなかったということは、半ば拉致されたかっこうである。ならば峯吉に知らされたという陸援隊の田中が途中、薩摩藩邸に立ち寄り、吉井幸輔を呼び出したという話もでっちあげということになる。

 当夜、集まったという連中は、事件後に駆けつけたのではなく、事件の前から現場にいたのである。

 怪しまれるから、峯吉を持ってきただけの話だ。
 推測すれば、目的を持って近江屋に乗り込んだのは、中岡慎太郎、谷千城(土佐藩)、毛利恭介(土佐藩)、田中光顕(土佐藩、陸援隊)、白峰駿馬(海援隊)。

 斬りつけたのは中岡だった。
 物事に動じない胆(はら)の据わった中岡だったが、さすがに龍馬の心がしみていた。真正直で柔和。しかしこの時、龍馬にあったのは頑とした厳しさである。てこでも譲らない。
 無念だった。しかし、陸援隊隊長としてけじめをつけなければならない。武士としての魂が中岡を突き動かしたが、刹那、一瞬の迷いが生じた。

 その時だった。龍馬がとっさに応戦。中岡は傷を負って倒れるが、他の者が龍馬を斬り捨てた。

 田中が近江屋から薩摩藩邸に走った。結果を待つ吉井幸輔に、テロ完了を知らせに行ったのだ。

 「無事終わった」

 「薩土密約同盟」を思い出して欲しい。薩摩と土佐の武闘派同盟だ。その先鋒を「陸援隊」が握っていた。薩摩藩と陸援隊のただならぬ関係である。
 英国エージェント吉井は、確認作業のために田中と一緒に現場に踏み込む。だから、場違いな薩摩藩士の吉井が、一人だけ近江屋で目撃されているのだ。

 その吉井は事件の四日後、大坂に陣取るサトウの元に走り、状況を報告する。

 「斬ったのは三名」

 サトウは日記に「まったく姓名不詳の三名の男に殺害された」と記したのである。
 まったく姓名が分からないのに「三名」だと人数を断定して記したところに、サトウの失敗がある。人数が分かっていながら、どこのものか分からないというのは、不自然だ。
 おそらく毛利と白峰は一階での見張り役。実際に龍馬を斬ったのは、中岡、谷、田中の三名ではなかったか。サトウは下手人の氏名をもれなく吉井から聞いていた、というのが常識だろう。

 パークス直属の大物諜報部員、龍馬がついに葬られた。

 それはサトウにとってどんな意味があるのか?おそらく報告を受けたサトウは内心震えていたのではないか。

 中岡は二日間ほど生きていたという。本当だろうか?

 しかし、異様なのは巷間伝えられる傷の数だ。
 刀傷は10ヵ所、20ヵ所、いやいや、そんなものじゃない、30ヵ所近くあったという説まである。もし本当だとしたら、龍馬と相打ちは考えられない。
 想像をめぐらせるまでもなく、まともな斬り合いなら、絶対にそうはならない。せいぜい三太刀、そして止めの一太刀、というのが相場だ。
 10以上の刀傷は通常拷問か、歌舞伎の「斬られ与三郎」でも分かるようにリンチである。


 30ヵ所近い刀傷。それはなにを物語っているのか?
 ここで、もう一つの可能性が浮かび上がる。

 中岡慎太郎、裏切り説である。
 実は、中岡に龍馬暗殺命令が出ていたのだが、中岡は長いことそれを渋っていた、というものである。

 そこで中岡は完全に疑われた。龍馬と通じているのではないか。時間はない。ならば龍馬もろとも共に闇に葬れという命が下った。

 龍馬の切り傷も、数ヵ所から30ヵ所くらいと定まらない。そこから、瀕死の重傷を負った二人に、幕府の動きを吐かせようと暗殺団は拷問をふるったというものだ。
 たしかにそういう設定ならば、二人に無数の傷が残っていたとしても不思議ではない。

 ならば下手人は、おそらく谷、田中、白峰ではないか。
 どれが実で、どれが虚なのか、二つの仮設は立ち去りがたく、いまだに決着がつかない。

 しかし、いずれにせよ、サトウの了解のもとで、岩倉、大久保が陸援隊に命じたという構図は、揺るぎなく胸に留まっている。

 暗殺者は家の者に見たこと、あったことのすべてを夢、幻としてかん口令を敷き、犯人を新撰組に擦り付けた。

 海援隊の白峰は、最初から陸援隊のスパイとして、海援隊に送られていたはずだ。二年後のアメリカ留学は、ほとぼりを冷ますためだという噂がある。白峰は、明治新政府の支援を受けて、日本最初の造船所、白峰造船所を作っていることから、新政府とは緊密だったことは確かである。

 事件後、龍馬を弔った海援隊は敵討ちと称して、紀州藩の三浦休太郎が泊まっていた天満屋に切り込む。三浦が「いろは丸」賠償問題を根に持ち、新撰組をそそのかして龍馬を襲わせたというお粗末な話なのだが、この討ち入りは芝居がかっている。
 事実、三浦はすんなりと逃げ抜けており、陸奥宗光などは、旅館の下でまごついた顔でうろうろしていたに過ぎなかったという噂もある。
 陸奥にしてみれば、ばからしい限りだったに違いない。

 龍馬が死ぬ、ぎりぎりまで連絡をとっていた陸奥と吉井。彼らは一番、龍馬襲撃事件を話していいはずだが、一切を黙して語らず。全容を墓場に持ち込んだのである。

 海援隊に引き換え、陸援隊の方は隊長を殺され、事件現場を仕切ったにもかかわらず、なんら行動を起していない。そこに龍馬暗殺事件の真実が垣間見える。下手に騒げば、藪蛇になる恐れがあるから動けなかったのだ。

 海援隊は龍馬暗殺より5ヵ月後、解散を命じられ、暗殺事件そのものが、永遠に封印されたのである。』

 ・・・このテーマで書き始めて最初は若者の直観に基づくメッセージを紹介させていただきました。
 
 それからその感想に触れるようになったのですが、若者が言った「聖者の政治家」というところに来たときに、突然、加治将一氏が執筆された「あやつられた龍馬」第9章を紹介させていただきたくなったのです。

 今年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」、そして小生は、この坂本龍馬のドラマ化が、これからの時代に向けて日本人の覚醒に繋がっていくという話を聞いていました。

 
 ・・・今、政治が揺れています。
 政治が揺れているというよりも、現在起きている政治家の献金問題ばかりが取り上げられて、真の政治というものが、おざなりになっているような気がするのです。

 それで若者は言いました。

 「 今、日本国を建て直し、輝かしい未来を現出させるためのきっかけをもたらすことのできるような政治家とは、饒舌に経済の仕組みを語ることではなく、軍事についての博識を誇らしげに語ることでもなく、他者の秘密を握ることで力を増していくことでもなく、単純に「聖者」であることに尽きる」

 それでそうなるには、「どれだけ相手に詮索されようと、喜怒哀楽を察知されようと、何一つ、曇りの一点もない澄み切った心を持っていればよいだけのことなのである。
 曇りのない、クリアな心は、数十億ドルをかけた軍事偵察技術も無力化させてしまうのだ。しかも費用は一銭もかからない。」


 話を龍馬に戻します。

 思えば司馬遼太郎という方は坂本龍馬を日本に知らしめた第一人者であります。
 そして坂本龍馬のその生き方に多くの人は憧れました。
 
 しかし、司馬氏は「竜馬がゆく」の小説の中に、陰の部分を描こうとはされませんでした。
 その陰の部分となるところこそ、フリーメーソンとの関わりでした。

 そこに加治氏はメスを入れました。
 それは彼らとの関わりを鮮明にしていくことで歴史の真実に迫ることができる。
 その中で、龍馬の行動、そして龍馬の考えを鋭い視線で探っていくのです。

 そして、陰の部分を交えた坂本龍馬という人物と、司馬氏が描いた龍馬も小生は同じであったと感じました。

 それで小生は龍馬の思いは「世界人」になろうとしたのではないだろうかと思ったのです。


 そういえば岡田茂吉は次のような言葉を残しています。
 
 『 これからの人間は、世界人にならなければ駄目だ。

 これについて面白い話がある。終戦直後ある軍人上りの人が私のところへ来て、憤懣(ふんまん)に堪えない面持(おももち)で「今度の降伏はどう考えても分らない、実に怪(け)しからん」と言って、憤慨しながら話かけるのだが、私の方はサッパリ気が乗らないので、彼は呆れたらしくいわく「先生は日本人ですか」と質(き)くから、即座に「私は日本人じゃない」と答えると、彼はギョッとして、震えながら「ではどこの国の人間ですか」と質き返えすので、私は言ってやった。

 「つまり世界人なんですよ」その言葉に、彼はポカンと気の抜けたような顔をして、その意味の納得のゆくまで説明してくれろと言うので、私も色々話してやったが、今それを土台にしてかいてみよう。

 元来日本人とか、支那(シナ)人とか言って差別をつけるのが第一間違っている。アノ頃の日本人がそれで、日清、日露の二回の戦役に勝ち、急に一等国の仲間入りをしたので逆上(のぼ)せ上り、日本は神国なりなどと、何か特別の国のように思ったり、思わせたりして、ついにアノような戦争まで引き起したのである。
 そんな訳だから、他国民を犬猫のように侮蔑し、その国の人間を殺すなど何とも思わず、思いのままに他国を荒し廻ったので、ついに今日のような敗戦の憂き目を見る事になったのである。

 そのように自分の国さえよけりゃ、人の国などどうなってもいいというような思想がある限り、到底世界の平和は望めないのである。
 これを日本の国だけとしてたとえてみても分る。ちょうど県と県との争いのようなものとしたら、日本内の事であるから、言わば兄弟同士の食(は)み合いで、簡単に型〔片〕がつくに決っている。

 この道理を世界的に押拡げればいいのである。彼の明治大帝の御製にある有名な「四方(よも)の海 みな同胞(はらから)と思ふ世に など波風の立ち騒ぐらむ」すなわちこれである。

 みんなこの考えになれば、明日からでも世界平和は成立するのである。 全人類が右のような広い気持になったとしたら、世界中どの国も内輪同士という訳で、戦争など起りよう訳がないではないか。
 この理によって今日でも何々主義、何々思想などといって、その仲間のグループを作り、他を仇(かたき)のように思ったり、ヤレ国是だとか、何国魂とか、何々国家主義だとか、神国などと言って、一人よがりの思想が、その国を過(あやま)らせるのみか、世界平和の妨害ともなるのである。
 だからこの際少なくとも日本人全体は、今度の講和を記念として、世界人となり、今までの小乗的考えを揚棄(ようき)し、大乗的考えになる事である。
 これが今後の世界における、最も進歩的思想であって、世界はこの種の人間を必要とするのである。

 話は違うが宗教などもそれと同じで、何々教だとか、何々宗、何々派などといって、派閥など作るのは、最早時代遅れである。ところが自慢じゃないが本教である。本教が他の宗教に対して、触るるな〔な〕どというケチな考えはいささかもない。反って触るるのを喜ぶくらいである。というのは本教は全人類を融和させ、世界を一家のごとくする平和主義であるからで、この意味において、本教ではいかなる宗教でも、仲間同志と心得、お互いに手を携え、仲良く進もうとするのである。』 
                (世界人たれ 昭和26(1951)年10月3日)


 このような生き方ができる人々。すると、それは若者が言っていた「聖者の政治家」そのものではないでしょうか?

 
 今、日本の政治は機能していない状態です。
 そして、あの当時と同じように今も彼らとの関わりが続いているように感じるのです。
 しかも、あのときと同じように、その争いは水面下で起きているのではないでしょうか。
 

 日本にもエスタブリッシュメントと呼ばれる人たちが存在します。
 聞くところによると、そのような支配階級は税金を納めても返ってくるというのです。
 その理由は日本が彼らの国であるからだそうです。
 フリーメーソンも日本のエスタブリッシュメントと呼ばれるグループも、その実体はわかりません。
 しかし、彼らは存在し、凌ぎを削っていることは間違いないと思えるのです。
 それが表面化したものが、政治家の問題であるのでしょう。
 このまま日本はどうなるのか?
 何処へ向かおうとしているのか?


 けれど、そのような状況の日本に、新たなリーダーが産声をあげる。
 そんな兆候が現れました。
 そのひとつの方法が坂本龍馬を知ることなのかも知れません。
 
 司馬遼太郎という人物は、日本と古代ユダヤの関係を知っているようでありました。
 それを司馬氏の処女作の中に垣間見ることができるのです。

 「ペルシャの幻術師」の中にある短編小説「兜率天の巡礼」は秦氏のことが書かれていました。
 

  http://blog.kyotokk.com/20051229/1911-07/
 (参考サイト)

 そして坂本龍馬を生んだ土佐も秦氏であった長宗我部元親が治めた国でありました。
 坂本龍馬はその長宗我部の遺臣であります。

 先日、「龍馬伝」の第三話が放映されましたが、岩崎弥太郎と龍馬が江戸へ向う内容でした。
 しかし、弥太郎の手形は偽手形でした。
 あくまでもドラマの中ではありますが、それを承知で一緒に江戸に向おうとする龍馬の心と、関所で発覚しそうになったときの弥太郎のとった態度に小生は感動致しました。

 それで「龍馬伝」というドラマは幕末を駆け抜ける龍馬の生き方そのものを注目しなければいけないと思ったのです。
 明治維新への時代の流れよりも、そこが肝心のようです。 

 今、政界は小沢氏の献金問題で揺れています。

 その本質の部分は何処にあるのか?


 ・・・しかし、それは決して表面に出ることのないものであるような気がしております。

 そういえば、昨年自民党の中川氏が亡くなられたとき、澤野という若者は次のようなことを直観的に話していました。

  『中川氏は落選したショックで死んだのではない。日本国と日本国民のために、妥協のない信念を貫き通し、一切言い訳もせずに、自らの生命を滅却させたのだ。
 これもマイケル同様、自殺でも他殺でもない儀式的象徴としての「死」といえる。
 中川氏は、自らの死をもって、私たちに「責任」というバトンを渡したのだ。中川氏本人は「我が人生に一片の悔いなし」と、堂々と天国へ旅立つことができる。
 しかし、問題は、そのバトンを手渡された私たち日本国民の側にある。
 このバトンのことを別の言い方で「見えない請求書」という。「北海道11区」には、日本史上かつてないレベルの「見えない請求書」が届くことになる。』 


 以前の日記

 http://tanjyun-tenuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-2268.html


 彼はその中で「見えない請求書が届けられる」と述べています。
 そして、「北海道11区には、日本史上かつてないレベルの見えない請求書が届くことになる」・・・と。
 それが日本全体に広がるのでしょうか?

 
 ・・・その献金問題で逮捕された民主党の石川容疑者は北海道11区から選出された代議士でありました。

 そして、それを動かしていたのが小沢氏。

 その小沢氏は中国国家副主席を半ば強引に天皇との面会に至らせました。


 それは日本の国体というものに対しての反発であったのでしょうか?
 そして体制側の逆鱗に触れ、本格的な水面下での戦闘が開始されたのでしょうか?
 マスコミから流される報道だけでは、その本質は見えることはありません。

 しかし、それは何も知らされない国民を巻き添えにしながら、日本がどん底に落とされていく。

 黄色と黒の虎の模様の意味する事が、年初から激化し始めたようです。


 

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