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タイタニック号の真実 

前回の日記で映画「タイタニック」について触れました。
 それを詳しく述べられた記事を紹介させていただきます。

 『1912年4月10日、夢の超豪華客船と言われたタイタニック号がイギリスのサウサンプトンを出港した。
 これはタイタニック号にとっては処女航海であった。タイタニック号は大西洋を西に向かい、やがて氷領域に突き進んでいった。
 
 悲劇的な事故は、1912年4月14日、深夜11時40分に起きた。タイタニック号が氷山に激突したのであった。そして、約3時間後に沈没した。

 乗客乗員合わせて2223人、うち1517人が死亡するという大惨事に至ったのである。その後、多くの海難事故が起きたが、今もってタイタニック号事件は最大の海難事故なのである。
 これを世界のエスタブリッシュメントの意向を受けたキャメロン監督が5年間を費やしてリサーチした。そして、現在も3773mの海底に眠る船体を撮影したフィルムをはじめ、最新の視覚効果でタイタニック号の最期の数時間を再現したのであった。

 この映画には、刻一刻と進む沈没の極限状況に直面した人々のパニック、愛と別れ、サバイバルへの強烈な意志が、涙と感動のヒューマン・ドラマとして描かれているのである。
 では、映画「タイタニック」から読み取れるシグナルとは何なのか。それはここに乗船する人々の行為、その裏にある諸状況が、当時の世界の縮図であったということである。また、事件後約90年間が経過した世界が大きく変化しているはずであるのに、各国の映画を見た人々がそこに繰り広げられる種々の出来事の中に、現在にも共通するものを数多く見出すことが出来るのである。

 例えば、そこには華やかに着飾った一等乗客とともに、主人公ジャックのように新天地での希望や野望に満ちた三等船客たちも乗っている。特に、上級船客から見下されながら蠢いている人々である。
 運賃による乗客の差は今も継続されている。それこそグローバル・スタンダードの一つでもあり得て当然なのかもしれない。
 しかし、問題が起きる。三等船客は鍵のかかるゲートで仕切られているのである。タイタニック号が氷山に激突した後も、わずかの箇所にしかそのゲートは開かれることはなかった。それを自力で破って救命ボートに殺到した者には、制圧のためにピストルが向けられ殺された者さえあった。
 実際、タイタニック号の事故での生存者は一等船客が60%、二等船客は44%、三等船客は25%であった。
 では、先に救命ボートに乗ったはずの一等船客でも、生存者がなぜ60%なのであろうか。
 それはこの映画でも描かれているように、実際に女や子供が優先されたのである。そして男は残った。すなわち、この時代においてはまだ騎士道精神が残っていたのである。
 もちろん、三等船客においても女や子供が優先されたであろう。しかし、それでもなおこれだけの生存率しかなかったのである。
 
 このことは先にも述べたように、三等船客にはゲートが閉められ、かつ鍵がかけられていて、わずかに開いたところ、あるいはそれをこじ開けていった少数の人々が生存したに過ぎなかったからである。
 このことから私たちは何を読み取れるであろうか。
 1999年から数年かけて、世界は大変化、大混乱に陥る。その中においては核兵器も使用されるであろう。
 食糧危機も起きるだろうし、大規模なオイル・ショックも演出されるであろう。
 いわばタイタニック号が氷山に激突したようなパニックが世界的に起きるのである。その世界には一等船客もあれば、三等船客もいる。
 一等船客とは、すなわち氷山に激突した時からその情報を得ていた者たちである。すなわち世界エスタブリッシュメントとそれに協力する者たちといえるであろう。
 三等船客とは何か。それは発展途上の国々やその国民たちである。そして、世界エスタブリッシュメントたちに抵抗する者たちである。

 大パニックが起きるとき、すでにすべての識別が行われていることを暗にこの映画は示しているのである。このことはシグナルでなくて、いったい何であろうか。
 映画をご覧になった方はお気付きのように、男性の主人公はジャック、女性の主人公はローズ、彼らの熱い恋愛が展開される。それはもちろん架空のことである。
 このローズの母親は着飾り、コロラドの億万長者の夫人を新興成金と見下げるほどであった。しかし、実情は火の車で、娘を資産家に嫁がせることに活路を見出そうとしていたのであった。
 婚約者の若者も自己の目的を達成するためには、何でもする人物である。部下を使い、ジャックを宝石の窃盗者にでっち上げる犯罪を平気で犯す。さらにはカネで救命ボートが確保できないとなると、親にはぐれた三等船客の子供をとっさに抱きかかえ、救命ボートに乗り込むのである。子供を自ら助けるための手段に使うのである。
 私たちは、自己中心の金持ちのこの青年をどのように見ることが出来るであろうか。
 今日、世界最大の債務国は誰もが知っているようにアメリカである。
 しかし、同時に世界最大の軍事力を持っているのもまたアメリカである。
 アメリカはその軍事力を駆使して、世界で暴れまくり、自分たちの主張を思い通りに通していく・・・・この婚約者の若者の中に、現在のアメリカの状況を見よ、というわけである。


 しかし、これらのことのほかに実際のタイタニック号事件にまつわる、現在においても解けない謎が存在しているのである。
 
 まず第一に、この事件が起きる約15年前の1898年、モーガン・ロバートソンという人物が一つの小説を書いていた。その小説の名は「愚行」である。その内容は、豪華船が処女航海で氷山に激突し、沈没するというものなのである。あたかもタイタニック号遭難事件を予告しているかのごとき内容である。
 その船は北大西洋で事故に遭い、乗客数も速力もほとんど同じなのである。
 さらに、気味悪いことに、小説の中の船名は「タイタン」(すなわちタイタニック)だったのである。

 もう一つ、1892年に、やはり豪華船の沈没をテーマにした小説が書かれていた。その作者はウィリアム・T・ステッドである。
 このステッドは何と不思議なことに、実際のタイタニック号事件で犠牲者となったのであった。

 このようなことを私たちはどのように読み取るべきであろうか。
 第二の不思議なことは、タイタニック号を持っていたホワイト・スター・ライン社のオーナー、J・P・モーガンがタイタニック号で泊まることになっていた部屋についてである。
 彼は出港のわずか24時間前に、急にキャンセルしたのであった。このことは長きにわたって話題になった。
 そして最終的に、誰がその最高級のスイートルームに泊まるようになったのか。現在でも謎のままなのである。
 タイタニック号を建造したハーランド・アンド・ウルフ社の会長ビリーは、体調が優れないという理由でやはりキャンセルした。そして、その代理として処女航海に参加したのが、同社常務取締役でタイタニックを設計したトーマス・アンドリュースだったのである。
 
 タイタニック号がサウサンプトン港を出港する前は、この港は炭鉱ストの影響でごった返していた。出港を取り止める多くの船舶もあれば、出港を延期する船舶もあったのである。
 いわばサウサンプトン港は停泊する船で満杯状態になっていた。

 このようなことから、旅行を中止したり、移住の計画を変更する人々が続出し、切符の売れ行きは落ち込んでいたのである。
 このことはタイタニック号においても例外ではなかった。処女航海であるのに、まだまだ多くの空席があったのである。
 そこで、ホワイト・スター・ライン社は他の船に乗ることが決まっていた乗客たちを、ほとんど無理矢理にタイタニック号に移し出したのである。他の船では一等を予約していたのに、タイタニック号では二等を我慢しなければならない客たちもいた。二等でもタイタニック号の方が他の船の一等よりも居心地はよかったが、品位に欠けている人々も多くいた。
 このようにしてまで乗客を集めたが、なお定員にはほど遠い状態だったのである。


 もう一度、キャンセルをした人々について考えなければならない。
 なぜ彼らはキャンセルしたのであろうか。処女航海に乗っていなければならないはずの人々、タイタニック号に最も大きな責任を持っている人々が何の理由もなく急きょキャンセルしているのである。その数は約55人に及んだのである。
 彼らは何かを知っていたかもしれないという謎が今も残っている。

第三の不思議は、この当時の船はまだコンピュータもレーダーも備え付けてはいない。無線通信がやっとのことだったのである。
 従って、船が進むときに最も頼りとされるのは見張り人たちであろう。豪華客船の最も高いところに見張り台が備えられていたのである。
 では、その見張り人たちが頼りにする道具は何か。それは双眼鏡である。
 不思議なことに、タイタニック号は当時世界最大の豪華客船にして、処女航海に出、かつ氷領域を通過しているのに、彼らに双眼鏡を持つことが許されていなかったということである。
 では、その大切な双眼鏡はどこにあったのか。船室にはほとんど隠された状態で置かれていたというのである。
 見張り台は完全に外気にさらされている。事故の夜には風がなかったとはいえ、船は21ノットというスピードで航行していた。見張りは時速25マイルの凍るような風を常に顔に受けていたことになる。
 とても目を開けていられない状態、目を開ければ寒さゆえに涙が吹き出てくるのである。彼らはその凍てるような寒さから目を守るために、おそらく見張り台の下に身を隠していたのではないだろうか。そして、そこから時々顔を出して前方を見たはずである。
 かくのごとく、タイタニック号はほとんど盲人のような状態で氷領域を進んでいったのである。しかも猛スピードによってである。

 加えて、タイタニック号が氷山に激突した時間は、夜11時40分であったことを考え合わせなければならない。
 なぜ彼らから最も大切な道具、そして彼らの目ともいうべき双眼鏡が奪われていたのであろうか。なぜ、双眼鏡は船室に転がされていたのであろうか。
 以上のことのほか、タイタニック号事件にまつわる謎はもっと多く存在している。
 映画はそのほとんどを無視した。そして、男女の恋愛物語を全面に描き出しているのである。
 では、タイタニック号事件とは何だったのか。
 「陰謀」によって引き起こされたと考えられる。

 その背景を述べなければならない。
 何よりもタイタニック号を所有していたホワイト・スター・ライン社は、当時経営上の悩みに突き当たっていたのである。彼らが所有していたのはタイタニック号だけではなく、それと瓜二つの、そして姉妹船とでもいうべきオリンピック号があったのである。
 両船はほとんど同じ時期に建造された。
 そして、オリンピック号が先に処女航海に出、実際の航行を開始していたのである。
 両船が瓜二つであるということの一つの証拠として、私たちが現代でも目にするタイタニック号内部の図解は、写真や絵のほとんどが実はオリンピック号のものなのである。
 そのオリンピック号が北大西洋で大きな事故を起していた。すなわち、イギリス海軍の巡洋艦と衝突事故を起していたのである。

 それゆえに、ホワイト・スター・ライン社は保険請求を行ったが、相手が海軍省なるがゆえににっちもさっちもいかなかったのである。そして、裁判は泥沼状態になっていた。
 ホワイト・スター・ライン社は、他のライバル会社との関係においても、経営上の行き詰まりを起していた。
 このようなことから、オリンピック号とタイタニック号がすり替えられたと考えられないであろうか。
 すなわち、瓜二つの船をすり替えることでオリンピック号の損傷を適当に取り繕い、ボロが出ない程度の簡単な試運転をさせて処女航海に送り出す。その航海も氷領域として有名なところを通す。そして、氷山と激突させる。

 そのとき待機していた同社の船に乗員、乗客を移す。そして、タイタニック号(実際はオリンピック号)を沈没させる。
 そして、多くの保険金を得て、減価償却させるという筋書きが出来ていたのではないだろうか。
 そうであるならば、タイタニック号の方は姉妹船(オリンピック号)の名をかたって、23年間航行し続けたことになる。

 ただこのことをかねてから聞いてきたスミス船長の判断が誤ったかもしれない。
 なぜならば、スミス船長にも大変な謎が秘められている。もちろん、彼はあの遭難事故で死んだ。しかし、彼自身もミスを犯していたのでないだろうか。
 スミス船長は有名な船長ではあったが、あの事故の直前、いかなる船長もすることのないこと、すなわち氷領域を最大速度で突き進んでいったのである。その速度21ノットであった。

 誰が見ても氷山に激突することが明らかではないか。
 そればかりではない。他の船がタイタニック号の位置を確かめて、その氷領域と氷山が流れて行くことについて警告を送り続けている。その数は実に6回にも及んでいるのである。
 しかし、スミス船長はすべてを無視した。そして、最高速度で氷領域を突き進み続けたのであった。

 彼は何をしようとしていたのか。

 おそらく出来るだけ早く氷山と激突させるようにという指示を受けていて、それを彼の性急な性質と合わせて、早く実現させようと焦っていたのかもしれない。
 タイタニック号(実際はオリンピック号)が激突したとき、すべては計画通りにいかなかった。余りにも早過ぎ、約束していた地域とは異なっていたのであった。その結果、多くの犠牲者が出てしまった・・・。
 では、どうして二隻の姉妹船をすり替えることが出来たのだろうか。
 おそらく、船名板を変える工作が行われたであろう。
 船の名は船首の左右両側にある黒い板に浮き出しになっていて、金色のペイントで装飾されていた。もう一つ、船尾の湾曲部にある白い板にも黒で名前が書かれていた。
 しかし、姉妹船同士の名前を書き換えるにはそれほど難しいことではない。ドッグに二隻を並べて、船内のいろいろな作業が行われているときに、同時に看板を交換するのである。
 時間的にも手間においても、それほど大層な作業ではなかったはずである。
 そのほかの文房具から救命具に至るまでの部品についても、すでにこの時代、マニュアル化され、それらは大量生産されていた。
 従って、それらを交換することはそれほど多くの時間を必要としなかったであろう。
 現に、ホワイト・スター・ライン社は、このタイタニック号事件で膨大な保険金を取得することが出来たのであった。
 もう一つ、この不思議な謎を解く鍵がある。これはやはりユダヤ問題である。
 後にこのことについての海軍裁判が行われた。その首席はルーファス・アイザックスである。
 彼はユダヤ人で弟はゴドフリーといった。

 ゴドフリーは1910年よりイギリス・マルコニー社の総支配人を務めていた。タイタニック号事件が起きたその同じ週に、金融上の怪しい取引関係を結んでいた。その結果として兄のアイザックスは海軍裁判の最高責任者でありながら、この海難事故から巨額利益を獲得することが出来ていたのである。
 これは今日でいうインサイダー取引の典型だったのである。
 今日、世界エスタブリッシュメントたちは謎に満ちたタイタニック号事件を映画化し、それを自分たちの都合のよいところだけつまみ食いするようにして映画化したのであった。
 そして、「彼ら」は1999年以降における大変化、大混乱、大惨事をタイタニック号事件に見立てようと警告のつもりで映画化したのであった。
 文字通り、彼らは「溺れる者は藁をも掴む」ということわざを現実のものとしようとしているのである。』


 ・・・あれから十数年、彼らの戦略もやっとクライマックスへと向うことができたのでしょうか。
 ・・・しかし、
 ・・・最期の誤算が起きるのでしょうか
 
 それは日本に古代ユダヤ人が残されているから、そのために計画はマヤ暦の終わりに向けられた。

 唐突ながら2010年の始めにそんなことを思ったのです。

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