ひとり言

貧倖(ひんこう)への問いかけ

『 テモテへの手紙 第二 3章 1-7


1 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

2 そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

3 情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

4 裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

5 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

6 こういう人々の中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、

7 いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。 』

 今に始まったことではないようですが、最近特に驚くような事件が世間を騒がせているようです。
 冒頭で紹介させていただいた新約聖書のテモテへの手紙は、終末の時代の人々の心はこのようになると述べていました。

 ・・・寂しいことです。

明日8月14日、夜9時からTBS系のドラマで「歸国(きこく)」が放送されます。
 このドラマは戦後十年くらいたった頃のラジオドラマで流された「サイパンから来た列車」を聴いて触発された作家の倉本聰氏がずっと構想を練られてきた作品だそうです。

 2010年8月15日深夜、終電が過ぎた後の東京駅のホームに通常のダイヤにはない一本の軍用列車が到着するところから始まるそうです。そして、そこから降り立つ人々は65年ぶりに祖国に帰って来た南の海に輸送船ごと沈んだ若き兵士たちでありました。
 彼らは夜が明けるまでの数時間だけ、現代の東京を垣間見ることが許されたのです。
 そこで彼らは何を感じるのか?それは見てのお楽しみです。

 このドラマの中で貧倖(ひんこう)という辞書にはないセリフが使われるそうです。それは部隊長が祖父からいつも聞かされていた言葉だそうで、貧しくて困る貧困は避けたいが、貧しくとも倖(しあわ)せな生き方は出来る。それがかつての時代を生かされてきた先人の本来の姿といいますか、それが人としてのあり方の本質そのものだったのではと思われるのです。

 敗戦から65年、私たちの日々の生活は、格段に便利になり、ほとんどの方が豊かさを享受出来る素晴らしいものではあるのですが、その一方で、しかし本当の幸せははたしてそこにあるのだろうかとも考えさせられてしまうのです。
 
 きっとそのドラマは若い兵士の目を通して、視聴者に問いかけてくれるのでしょう。
 そして、その問いかけというものは、おそらく人としての究極の問いかけなのではないでしょうか。
 
 そんなドラマが明日の夜に、放送される予定だそうです。

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本来の日本人 1

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  フルベッキの集合写真、結論から言いますと、これは合成写真であったようです。

 彼らの目的、それは次のスケッチが語っていました。

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上の写真は高橋五郎著「天皇の金塊」に掲載されていたものです。

 見難い写真ではありますが、その右側に後姿で描かれているのが日本軍、そして後方で意気込んでいるのが日本のやくざ集団で、これは全世界に配信されたスケッチであると言われています。


 日本人のやくざ集団は、その度胸と非情さを日本軍から大いに重宝がられて利用されていたようです。
 そして日本軍は満州事変以来、厳しい上官の命令と軍規のもとで、「天皇陛下のため」と叫びながら、乱暴狼藉を繰り返し、アジア全域の住人たちから金塊財宝を根こそぎ強奪していたのでした。
 そして、当時アメリカ人の作家たちは徹底した日本陸軍の強奪ぶりを、「まるで巨大な真空掃除機が通り過ぎたように」と表現していたそうです。

 日本軍が任務を終えたその直後に日本のやくざ集団が金塊強奪を行ったのです。

 石原莞爾や辻政信といった旧陸軍の軍人たちがその任務を負ったようです。ですから石原莞爾においては満州事変の張本人でありましたが、戦犯を逃れることが出来ました。また辻政信は後に衆参議院を何期も務めましたが、その後東南アジアを単身で視察する不可解な行動をして消息不明になった人です。
 実は彼らは金塊強奪の任務を帯びていたのだそうです。

 皇室で昭和天皇の弟である秩父宮はアジア全土から略奪した金塊財宝の秘匿作戦総司令官であったようです。
 そして奪った金塊の大半は今もフィリピンの175ヵ所の地下を掘って隠した後に、それに携わった175名の将官たちと共に爆破され、隠匿されてしまったようです。
 
 そして大東亜戦争の真の狙いは、金塊奪取にあったのでした。
 それで戦後ルパング島から帰還されブラジルに移民された小野田氏はその任務をずっと忠実に遂行されていたのでした。
 その小野田氏をブラジルに移民させたのは、笹川良一でありました。
 ・・・口封じのためだったのでしょう。
 
 このように衝撃的な真実が暴露される時代。本来の日本、日本人はどのようなものであったのか。疑心暗鬼にならざるを得ないような、しかし次の時代の到来を見据えたとき、日本の暗部が曝け出される必然というものを感じるのです。

 そして金塊の略奪を行わなければならなくなった原因は明治維新にあったようです。
 彼ら外国勢力はその頃から日本に目を付け、そして開国を迫ると同時に日本の内乱を扇動しながら、その弱点を見抜いてしまったのです。
 
 以前、土佐の田中光顕が暴露した内容、幕末維新の目的が薩摩や長州が悲願とした南朝復活であったこと。そして、どさくさに紛れて天皇すり替えを行うこと。
 そのタブーを彼らは日本の弱点として、日本に脅しをかけたのでした。また、欧米を視察させることによって、富国強兵や工業立国という欧米列強の果たした夢を日本に持たせることでもあったようです。
 そのために日本は日清、日露の戦争に駆り出され、軍艦や武器の調達に莫大な借金を背負わされ、彼らの僕に成り下がってしまったのです。
 その借金返済の行動が金略奪となったのです。
 
 そして彼らの僕となった者たちは生き残ることが許されて、それに反発した者たちは命を絶たれてしまいました。
 それが日本の幕末から今に及ぶ、歴史のタブーであったのでした。



 ・・・・・でも、本来の日本、本来の日本人の心はそうではないと思えるのです。

「我が命燃えて
 人の命も 尊さも
 勇気も知恵も たけた男子が
 グッと見据えた その向こう
 国破れるも 起死回生
 未来に継なぐ いしずえに
 捨てて悔いなし この命
 燃えて散らした 亡き戦友の
 大和桜 いさぎよさ
 すべてを賭けた 青春は
 国の誉れの 特攻隊」

・・・・・

 敷島の
 
 大和心を

 人問わば

 朝日に匂ふ

 山桜花

 「本居宣長」

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 (三重県 亀山城跡の桜)

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 (丹波篠山城跡の桜)

 このような事実を知る当日に見た桜は、もの悲しさを醸していました。
 
 
 つづく

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龍馬伝から思うこと 3

『20XX年-。
  首相官邸の記者会見場は熱気に満ちていた。緊急会見に臨んだ首相が震えた声で切り出した。

 「国民の皆様、深刻なお話を申し上げなければなりません。日本の財政は破綻の危機です。本日、国際通貨基金(IMF)に緊急支援を要請し、関係国と協議に入りました。挙国一致内閣で危機を乗り越えるため、野党各党に政権協議を呼びかけます」

 続いて財務相が「前年度比5%以上の歳出削減を5年間続ける」などの「財政再建緊急プラン」を公表した。極秘に練り上げたプランだ。
 数ヵ月前から国債の引受先を決める入札が不調に終わるようになり、海外の市場関係者の間に「日本は投資先として危険」とのリポートも出回っていた。

 財務相が、1年間に税率が20%に上がったばかりの消費税について「当面の間25%にします」と語ると、テレビ中継を見ていた財務省幹部は、若手にささやいた。
 「おれが入省した時の首相は『4年間は5%から上げない』と断言していたんだぜ。今思えば、その時の10年度予算が転落の節目だった。戦後初めて当初予算で税収より多い国債を発行したんだ」
 会見で記者が「金融市場への影響をどう見るか」と問うと、財務相はカメラを見据えて「緊急プランとIMFの支援で、市場の動揺は抑えられる」と断言した。
 だが、会見の最中から外国為替市場で円安ドル高が一気に加速。
 週明けの市場でも国債が投げ売りされ、長期金利は跳ね上がった。株価も過去最大の下落幅に。市場は「日本売り」一色となった。
 
 「お札が紙くずになる」「預金封鎖も近々ある」。うわさがネットを飛び交い、現金を引き出そうと、銀行には長蛇の列ができた。貴金属店は、金塊や宝石を買い求める人でごったがえした。
 輸入品などの物価が高騰。ガソリンは連日1㍑当たり10円以上のペースで値上がりし、野菜や肉、魚も2倍以上の値段に。
 スーパーには「クレジットカードや電子マネーでの支払いはお断りします」との張り紙。人々は現金をかき集め、日用品の買い占めに走った。
 原料を輸入に頼るメーカーは経営難に陥り、工場の操業停止と従業員の解雇が相次いだ。銀行は国債暴落で巨額の損失を抱えた。混乱は金融システムに飛び火し、誰にも制御できなくなっていた。

            ◇

 いずれ、こんな「破局のシナリオ」が現実になるかもしれない。
 国・地方の借金は先進国で最悪の水準で、10年度政府予算案は税収が歳出の半分にも満たない異常事態だ。このままで大丈夫なのか。
 (五郎丸健一) 』 (朝日新聞2010年3月7日一面より)


 2010年度の国家予算は92兆2992億円、そしてこの額は過去最大のものであると言われています。
 そして国債の発行額も44兆円を突破し、戦後初めて税収より国債の発行額が上回る結果になったようです。
 そんな状況であるにも拘らず、民主党はマニフェストで公表していた子ども手当てや高校授業料無償化を成し遂げようとしているのです。

 その国債の発行額に対して菅財務大臣は「恐怖を覚えるような状況である」と言ったそうです。

 これから日本はどうなるのか?

 冒頭の記事は、それを朝日新聞がシュミレーションし、3月7日付けの一面に掲載したのでした。

 ・・・日本丸が沈んでいく。

 思えば本日放映された「龍馬伝」では、あの時代に「国」という概念で時代を捉え、そのために死をも覚悟して、脱藩の道を選択する龍馬の姿が描かれていました。

 そして話は変わりますが、どうやらトヨタの問題というものも仕掛けられていたことを知りました。
 それは豊田家がアメリカの大財閥ロックフェラーと親交があったことを聞いたからです。
 トヨタはその親交を足がかりにアメリカに拠点を増やしたのです。しかし、その結果が今日の問題を生み出したようです。
 欧米的な発想というか、狩猟民族的な発想を知っていれば、それが「罠」であるということに気付くことが出来たかも知れません。しかし農耕民族である日本人的な発想のみで世界に打って出ることは危険な賭けであったのでしょう。

 そして、日本という国の現実がだんだん明るみに出されてきたようでもあります。
 しかし、そのような境地に追いやられていくというか、その中にはずっと彼らの思惑が孕んでいたものとも思われます。

 それは幕末の時代においても、そして、今、現在においても変わることなく・・・。

 はたして、かつての龍馬のように日本人が覚醒するときがやってくるのでしょうか。
 そして、現実というものの厳しさを真剣に考えて、自分は何が出来るのだろうか?

 本日、龍馬伝を見終えてから、そんな気持ちにさせられたのです。
 

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彼らの奥深さを知る

「ただ、私は国家の通貨の発行を支配したいだけだ。それができれば、誰が法律を作ろうと、私はかまわない。」
 メイヤー・ロスチャイルド(ロスチャイルド家初代)

 上の言葉は水面下のグループ、その番頭役であるロスチャイルドがかつて語られた言葉であります。
 彼らの目的はただ一つ。それは世界政府の樹立を目指すことではないでしょうか。そして、そのクライマックスは近づいていると思われます。

 ある方は、そんな彼らの戦略を研究する上で絶対欠かせないものがあると言われました。
 それが世界最古の書物である旧約聖書でありました。
 そして、宗教という枠を超えて、聖書を研究する事が彼らに唯一対峙できる盾であると言われました。

 つまり聖書的な発想を知ることで彼らの考えを理解する事が出来るのでしょう。

 日本においてのインターネットでは、まだまだ言論の自由が許されています。その中で陰謀論を暴くサイトが存在し、探究心旺盛な人たちは真実を求めて群がっているようです。
 そういう小生もその中の一人、しかしネット世界で有名となったそのようなサイトで真実を見出すことは出来ないだろうと思ってもいます。


 話は変わりますが、昨年亡くなられたR・O氏はやはり病死でなかったことを、信頼できる方からお聞きしました。
 突然の訃報に、その直前の彼の活動を垣間見ていたせいもあってか不自然な感じを受けたのですが、やはり的中していたようです。

 そのような仕事に就かれる方々は、常に生命の危険にさらされてしまうのでしょうか、小生が信頼するその方はネットで活動されることはありません。また、出版社を通じて書籍を出すことも許されないため、独自で出版部門を設け、執筆活動をされていますが、彼らの戦略を暴く上では必ず聖書的な発想を心掛けておられます。


 話を元に戻します。
 冒頭で紹介した富豪は世界の富の半分を掌中にしていると言われていますが、その一族の根底には旧約聖書的な発想も培われていることを知らなければなりません。
 そしてその中には以下に紹介させていただく伝道者の書も含まれています。これは栄光栄華を極めたソロモンが残した言葉が綴られたものでありますが、3000年前に書かれたものです。

 ソロモンは世界の富という富を集めた王であると言われています。
 しかし、そんな恵まれた環境にあっても彼の心は満たされていなかったことが、この書物から読み取れるのではないでしょうか。そして肝心なことは、それを彼らも熟知していて戦略を企てているということなのです。
 
 ・・・だからどうなるというものではないかも知れませんが、日本人的な発想だけでは通用しない。そんな思いに痛感し、紹介させていただこうと思った次第であります。


旧約聖書伝道者の書 1章

1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。

2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

3 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。

4 一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。

5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。

6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。

7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることはない。川は流れ込む所に、また流れる。

8 すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。

9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下に新しいものは一つもない。

10 「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。

11 先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。

12 伝道者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。

13 私は、天の下で行われるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。

14 私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。

15 曲がっていないものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。

16 私は自分の心にこう語って言った。「今や、私は、私より先にエルサレムにいただれよりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」

17 私は、一心に知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうとした。それもまた風を追うようなものであることを知った。

18 実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。


伝道者の書 2章


1 私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。

2 笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。

3 私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。

4 私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、

5 庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。

6 木の茂った森を潤すために池も造った。

7 私は男女の奴隷を得た。私には家で生まれた奴隷があった。私には、私より先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊もあった。

8 私はまた、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。

9 私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。

10 私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。

11 しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。

12 私は振り返って、知恵と、狂気と、愚かさとを見た。いったい、王の跡を継ぐ者も、すでになされた事をするのにすぎないではないか。

13 私は見た。光がやみにまさっているように、知恵は愚かさにまさっていることを。

14 知恵ある者は、その頭に目があるが、愚かな者はやみの中を歩く。しかし、みな、同じ結末に行き着くことを私は知った。

15 私は心の中で言った。「私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、それでは私の知恵は私に何の益になろうか。」私は心の中で語った。「これもまたむなしい」と。

16 事実、知恵ある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。日がたつと、いっさいは忘れられてしまう。知恵ある者も愚かな者とともに死んでいなくなる。

17 私は生きていることを憎んだ。日の下で行われるわざは、私にとってはわざわいだ。すべてはむなしく、風を追うようなものだから。

18 私は、日の下で骨折ったいっさいの労苦を憎んだ。後継者のために残さなければならないからである。

19 後継者が知恵ある者か愚か者か、だれにわかろう。しかも、私が日の下で骨折り、知恵を使ってしたすべての労苦を、その者が支配するようになるのだ。これもまた、むなしい。

20 私は日の下で骨折ったいっさいの労苦を思い返して絶望した。

21 どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。

22 実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。

23 その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。

24 人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。

25 実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。

26 なぜなら、神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神のみこころにかなう者に渡すために、集め、たくわえる仕事を与えられる。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。


伝道者の書 12章


1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

2 太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。

3 その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。

4 通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。

5 彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。

6 こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。

7 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。

8 空の空。伝道者は言う。すべては空。

9 伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。

10 伝道者は適切なことばを見いだそうとして、真理のことばを正しく書き残した。

11 知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。

12 わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。

13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

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龍馬伝から思うこと 2

さて、今晩で龍馬伝も11話となりました。11話のタイトルは「土佐沸騰」、これから龍馬の動きも激しくなりそうな、そのようなタイトルであったようです。

 小生はこのドラマを見ていると現代社会は龍馬が活躍された時代に似ているように感じております。
 それは明治維新に向けた時代も、彼ら(国家を超えた水面下のグループ)の影響を受けた時代であったように、そして今もそれは変わらずに時代の節目となっているような、そんな感じを受けるからです。



 話は変わりますが、先月の澤野氏のレポートを拝見しました。その冒頭に「北海道11区」のことが書かれていました。
 そこには老子の言葉の「天網恢恢疎に漏らさず」が用いられて、昨年亡くなられた中川昭一氏のことが書かれていました。

 中川氏は、IMFに1千億ドルを拠出した中心人物であり、IMFのストロスカーン専務理事に「人類の歴史上最大の貢献」と賞賛された人物でありました。 彼は日本を心の底より愛し、そして日本の行く末を誰よりも憂い、そしてその最中に、この世を去って逝かれたのです。

 ・・・その中川氏が地盤とした北海道11区。
 有権者はそんな彼に不適格の烙印を押しました。
 石川氏こそが「改革の旗手」であると判断を下したのでありました。

 そしてその結果をもって澤野という若者は、そのような地球規模の貢献を成した人物を受動的で無自覚な判断基準をもって、その時のフィーリングで落選させた責任は重いと、北海道11区には、日本史上かつてないレベルの”見えない請求書”が届くと述べられたのです。

 その北海道11区で中川氏を破って当選した石川氏が、民主党の小沢一郎氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入問題に絡み、政治資金規正法違反の疑いで1月15日、秘書らと共に東京地検特捜部に逮捕されたのでありました。

 天網恢恢疎に漏らさず・・・澤野氏はこのことをもって老子の言葉を用いたのです。

 
 そして去る2月3日、東京地検は小沢氏の起訴を見送る方向で進んだようです。
 この背景には、キャンベル米国務次官補の訪日が大きく影響したものと思われます。
 キャンベル氏は、朝日新聞のインタビューに「現行合意が最善」と協調しつつも、「対話には応じ、柔軟に対応しなければならない」と、これまでにはなかったソフトな発言を行っていました。
 東京地検特捜部とは元来、連合国占領下の日本国内において、旧日本軍が貯蔵していた隠退蔵物資を摘発してGHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」がその発端となっています。
 要するに東京地検特捜部とはアメリカそのものであり、そのアメリカの中でも「情報部」なのであり、世間を賑わせた「小沢民主党 対 東京地検」とは「民主党 対 アメリカ」と言い換えてもよいものなのです。

 そしてアメリカ側としては民主党政権が沖縄・普天間基地問題を含む、日米安全保障に関して、受け入れがたい結論を出すようなことがあるならば、首相の脱税疑惑や幹事長の金銭問題など、その他諸々を表沙汰にすることも厭わないということになるのではないでしょうか。
 もし、そうであるならば、小沢氏の起訴が見送られたことは、その前日に行われたキャンベル氏との局長級会談や、その他の面会の内容がアメリカ側にとってきわめて建設的であったことが窺われます。
 
 しかし、北海道11区には澤野氏が「中川氏の呪い」と勘繰るように、手渡されたバトンの中には見えない請求書が入っていました。

 さらに澤野氏は「陸山会」を言霊的に解釈すると以下のようだと述べられました。
 「陸」は「りく」。そして「りく」とは「六義園」(りくぎえん)や「六国史」(りっこくし)のように「六」と表記することができるといいます。
 さらに、「山」は「さん」と読み、文字通り「3」と表記できます。
 つまり、「陸山」とは「6が3つ」で「666」という意味になるのであります。
 そして、「会」とは「会う」、「対面する」という意味になります。

 それを繋ぐと「陸山会」とは「666(ミロク)と対面する」という意味となるのです。
 そして、日本を中心として、ミロク化する世界は、今、私たちが目の前で見ている、民主党政権、そして小沢一郎という人物がキーワードとなって、最終局面まで進んでいくものと思われるのです。

 そして澤野氏は言いました。日本に対して、そして三次元的な側面のみで、この状況を見るならば、民主党政権は、完全に反日政権となるのでしょう。そして小沢一郎という人物は忌み嫌われる完全な悪役であると思われるのです。
 しかし、この日本を貶めていく民主党や小沢一郎という人物を多次元的な視点でもってみた場合、それらは完全に逆転し、小沢一郎という人物は「天使」となってしまうのですと・・・。
 彼らの征服綱領の中には「政治と道徳は何の関係もない」とあります。そのように政治家というものは、今までにおいて、それが本来の政治家そのもであったのでしょう。さらに今の日本の政界には小沢氏ほどのカリスマ性を持った政治家は他に見当たらない状況でもあります。
 しかし、「天使の役目」としてみた場合、それは何を意味するのか。
 おそらく、彼が反面教師として天に使われ、新たなるリーダーを登場させる土台となるのか、それとも彼そのものがそうであるのか。
 いずれにしても、時代の節目、国家が窮地に追いやられている時代は龍馬の時代と酷似してます。

 そして水面下に存在する国家という枠を超えた見えない繋がりを持つグループ。

 龍馬の時代、その当時も水面下に存在する外国勢力があったように、今もそれは続いており、そして、彼らの戦略は最終局面を迎えているのではないでしょうか。


 龍馬伝11話では、外国勢力に対して土佐で「攘夷思想」が沸騰します。そして上士・下士の争いから土佐藩の中で下克上のような動きも出始め、下級武士のいらだちを治めるために武市半平太は「土佐勤王党」を結成致します。
 上士といえども、彼らは元をいえば山内家が土佐へ来るときに大坂でカネで雇って連れて来た武士たちであります。しかし、下士と呼ばれる武士たちはかつて四国の覇者と呼ばれた長宗我部の血を受けた家臣なのです。
 薩摩、長州、土佐藩の中で、この土佐藩だけは殿様と家臣の心が一体とならないこのような歯がゆさがあったのでした。

 その中で自分の思いを貫くために・・・。
 命を賭した脱藩の道へ、彼らは一歩を踏み出していくのであります。

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龍馬伝から思うこと

全くといってよいほどテレビを観ない人間が、テレビにはまってしまいました。

 「龍馬伝」が始まったからであります。

 幕末の時代を駆け抜けた龍馬。
 そして今、必要とされるものがこのドラマには隠れています。

 坂本龍馬を一躍日本に知らしめたのは作家の故司馬遼太郎氏でありました。
 それほど「竜馬がゆく」は多くの読者を魅了して、人々は龍馬の生き方に感銘を受け、龍馬のように生きてみたいと強い憧れを感じたのです。

 幕末期、あの当時の日本はまさに激動の時代でありました。尊皇攘夷に、倒幕、佐幕、欧米からの開国を要求されて揺れ動く日本。その中で龍馬は生きたのです。

 
 ・・・それで小生は思うのです。
 このドラマが始まったということは、何か意味があるのではないかと。

 そして、ドラマをドラマで終わらせず、今こそ龍馬の思いを深く知って、彼の生き方に憧れを持つというより、実践に移すときではないだろうかと・・・。

 そして深く知るという意味では、不思議にこの「龍馬伝」の描き方は今までと違うような感覚を感じてしまうからです。
  

 今、日本はグローバル時代の狭間の中で、もがき苦しんでいるかのようです。
 政治とカネ、普天間問題、温暖化、そして百年に一度の大不況などなど。

 あたかも幕末の時代に開国か攘夷で揺れたように、現在、グローバルという国際化の流れの中で、日本もそれに沿っていくのか、それとも国益を守っていくのか。

 政治的な話を致しますと、今の与党の進めようとしている政策は国際化の推進であるかのようです。
 そして、旧与党の基本は保守で、それはすなわち国益を優先させる考えであり、今起きている争いの根はその部分にあるように思えるからです。

 つまり、鳩山政権、小沢氏が中心となって行おうとしている、東アジア共同体や外国人参政権は当時の開国にあたり、それに反発する攘夷というものが国益を重視する考え方だと思えるからです。

 それで「第二の開国」という問題に対して、日本人同士が争い合う。
 それが今の政界なのです。

 そして国民は、深刻な経済不況の真っ只中に置かれたままで「政治とカネ」を争点にした日本人の同士討ちを、眺めているのではないでしょうか。
 
 はたして、どちらが正論なのか・・・・・。

 小生はその中で今こそ多くの国民は坂本龍馬という人物の生き方を深く知って、これからの生き方、新たなる思想とはを、考えなければいけないと思ってしまうのです。

 龍馬の生き方。
 そこには、これからの時代を生きるヒントが、隠されているように感じるのです。

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見えない世界を考える 2

 元気の秘訣といいますか、見えない世界を考えていると、そのヒントが見えてくるようです。

 今回も岡田茂吉の論説を以下に載せさせていただきます。

『 病気とは何ぞや・アメリカを救う 
  昭和27(1952)年10月22日岡田茂吉

ーアメリカを救うー

 私は標題の著書を目下執筆中であるが、左の一文はその中の一項目で、参考になると思うから、載せる事にした。

ー病気とは何ぞやー

 序論にもある通り、現在米国における病気の漸増は何がためであるかを、その根本から説いてみるが、まず病気なるものの発生原因であるが、驚くなかれ病気というものは医療が作るのであって、特に薬剤がその中心をなしているという事実である。

 つまり病気を治し、病人を減らそうとするその方法が、反対に病気を治さないようにし増やしているという、到底信じられない程の迷盲である。そうしてこれは説明の要のない程明らかであるにかかわらず、それに気が付かないのであるから、全く二十世紀の謎といってもよかろう。 それどころか益々医学に信頼し、これを進歩させれば病気は解決出来るものと固く信じているのである。
 ではそのような不可解な原因はどこにあるかというと、それは医学の考え方が逆になっており、病気をもって悪い意味に解釈しているからである。それをこれから徹底的に解説してみよう。

 本来人間なるものは、生まれながらにして例外なく先天性毒素と後天性毒素とを保有している。
 先天性毒素とは無論親からの遺伝であり、後天性毒素とは生まれてから体内へ入れた薬毒である。というと何人も意外に思うであろう。何となれば昔から薬は病気を治すもの、健康を補うものとの観念が常識となっていて、良い薬さえ出来れば病気は解決するものと信じ、それを医療の主眼としているからである。
 特に米国は薬に最も重点を置き、新薬発見に非常な努力を払っているのは誰も知る通りである。ゆえにもし薬で病気が治るとしたら、病気は漸次減らなければならないはずであるのに、逆に益々増えるのはどうした訳か、これ程理屈に合わない話はあるまい。
 元来薬というものは、地球上ただの一つもないのであって、ことごとく毒物であり毒だから効くのである。それはどういう意味かというと薬という毒の作用によって病気症状が減るから治るように見えるので、実は治るのではないのである。

 では薬がなぜ毒物であるかというと、そもそも人間が口へ入れるものとしては、造物主が人間を造ると同時に生を営むべく用意されたのが食物である。
 そうして食物にも人間が食うべきものと、食うべからざるものとは自ら別けられている。すなわち食うべきものには味を含ませ、人間には味覚を与えられているのであるから、人間は食いたいものを楽しんで食えば、それで栄養は充分摂れるので、これだけを考えても造物主の周到なるは分るはずである。
 この意味において生きんがために食物を摂るというよりも、食物を摂る事によって生きてゆけるので、ちょうど生殖と同様子を得る目的で男女が営むのではなく、別の目的の営みで偶然子は授かるのであるから、神秘極まるものである。

 右のごとく人間の体内機能は、食物として定められた物以外の異物は完全に処理出来ないようになっているので、薬は異物である以上含まれている栄養分だけは吸収されるが、他は体内に残ってしまう。これが薬毒であって、しかも厄介な事にはこれが各局部に集溜し、時の経つにつれて固結してしまう。
 その集溜個所としては神経を使うところに限られている。神経を使うところといえば、もちろん上半身特に首から上で、頭脳を中心とし眼、耳、鼻、口等であるから、そこを目掛けて毒素は集中せんとし、一旦頸の周りに固結する。いかなる人でも頸の周り、肩の辺に必ず固結をみるであろう。これが凝りであって、ある程度に達するや自然排泄作用すなわち浄化作用が発生する。その場合発熱によって毒結は溶けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿等になって排除されようとする。これを名付けて感冒というのである。

 ゆえに感冒とは毒素排除の過程であるから、少し苦しいが我慢して自然に委せておけば順調に排泄され、体内は清浄化し治るという実に結構なものであるから、感冒とは全く簡易な生理作用で、神の摂理であるから、大いに感謝すべきであるにかかわらず、それを知らない人間は、この浄化の苦痛を反って悪い意味に解釈し、これを止めるべく考え出したものが医療であるから、いかに間違っているかが分るであろう。

 そうしてこの浄化作用なるものは、人体の活力が旺盛であればある程発り易いので、これを停めるには人体の活力を弱らせるに限る。
 そこで薬と称する毒を用いたのである。
 昔から草根木皮、鉱物、動物の臓器等から探り出し、煎じたり、粉末にしたり、抽出したりして水薬、丸薬、塗布薬、注射薬等色々な形にして浄化停止に応用したのである。それには毒が強いと生命に関わるから、微弱にして、少しずつ服ませる。このため一日何回などと分量を決めたので、よく効く薬とは中毒を起さない程度に毒を強めたものである。

 このように薬毒をもって溶解排除せんとする毒素を固めて来たので、今日の人間がいかに有毒者であり、病気が起り易くなっているかは、近来予防衛生などとやかましく言ったり、感冒を恐れるのもそのためである。
 また人間の寿命にしても六十余歳となったといって喜んでいるが、これも大変な誤りである。というのは人間病さえなければ百歳以上は楽に生きられるのに、百歳以下で死ぬのは病による不自然死のためで、無病となれば自然死となる以上、長生するのは当然である。
 
 右のごとく医療とは病を治すものではなく一時的苦痛緩和手段で、そのための絶対安静、湿布、塗布薬、氷冷、電気、光線療法等々すべての療法は固め手段ならざるはないのである。
 その中に一、二異(ちが)うのは灸点と温熱方法であるが、これも一時的熱の刺戟によって、その個所へ毒素を誘導させるので、楽にはなるが時間が経てば元通りになるから何にもならないし、またラジウム放射で癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結構だが、実は組織をも破壊してしまうから、差引プラスよりマイナスの方が多い訳である。

 以上のごとく現在までの療法という療法は、徹頭徹尾固め方法であって、治す方法とは毒素を溶かして排除させる以外決してないのである。何よりも医師は治すとは言わない。固めるというにみて明らかである。 しかも固め方法の内最も有効なものが薬であり、その薬が病原を作るのであるから、医療を受ける程余病が発り易く悪化するのは当然である。
 その結果ついに生命の危険にまで及ぶのである。それについてこういう事がある。
 治そうとして熱心に高貴薬など用いる患者程成績が悪く、その反対にどうでもいいと思う患者程治りがいいという話は、医師からよく聞くところである。
 また衛生に注意する者程弱く、無頓着の者程健康である事や、医師の家族や病院の看護婦などが多病であるのもよく聞くところである。面白い事には稀な健康者、長寿者に訊いてみると、自分は病気した事がないから、医師や薬の厄介になった事はないなどというが、吾々からみればそれだから健康であり、健康だからそうであるので、この点大いに味わうべきである。 』

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見えない世界を考える 1

意識レベルを研究されているある方のお話を聞いて一冊の本を注文しました。

「パワーか、フォースか」デービッド・R・ホーキンズ著 三五館

 下の写真がその本との御縁であります。

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 それでこの経緯につきましてお伝えさせていただきます。
 
 実は数年前になりますが、小生は大変お世話になっている方から、天然鉱石ミクロパウダーという貴重なものをいただいたことがありました。
 でも、何に使うというでもなく自宅に置いてあるだけでありました。

 それで話は変わりますが、昨年、勾玉の不思議な魅力について聞く機会があったので、石の不思議に思いを馳せて以下の日記を書いたのです。

 http://tanjyun-tenuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-8325.html

 そしたら、ちょうどその頃に冒頭の方からレーベンという天然鉱石活水装置の御縁まで授けていただけたのです。
 真にありがたいことでありました。

 また、これも昨年の話ですが、たまたま足がつったときに、たまたまそのミクロパウダーに触れてみたら、途端に痛みが治まった体験に遭遇しました。
 そして、たまたま知人の趣味が陶芸で、その方にもミクロパウダーを差し上げたら、たまたま奥さんの身体の痛みもそのパウダーで和らいで、ご主人共々驚かれてしまうという嬉しい出来事も重なったのです。

 そして、さらにはその知人が三重県伊賀で産出される400万年前の珍しい土が手に入るという話をされたのでした。
 このように最初はあくまでも点として起きた事柄が知らず知らずにいつのまにか線で結ばれてしまったような、今回の勾玉を作るようになっていった流れとは、今にして思えば、まさにたまたまの連続からたまたま生まれたような、そんな不思議な体験でありました。

 それで出来上がった勾玉の波動的な力というか、意識レベルというものを調べていただくことも出来たのです。
 
 そして結果を聞いて驚きました。
 良い結果が得られたということでした。
 
 そこで、詳細を質問させていただきましたら、以下のサイトを教えていただくことが出来たのです。

 http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/18000

 以上が、今回の日記を書こうと思った経緯であります。


 それでここから本題となりますが、まずは岡田氏の論文をご覧ください。

「 - 無機から有機へ -

『結核の革命的療法』岡田茂吉 昭和26(1951)年8月15日 

 前項に述べたごとく、病気の本体は霊の曇りであり、この曇りから黴菌は発生するという、その順序を詳しくかいてみるが、初め透明体である人霊に曇りが発生するか、または濁血の移写によって曇りが出来る訳は、既にかいた通りであるが、しからば曇りからなぜ病菌が発生するかというと、曇りの濃度化がある程度に達するや、自然に超微粒子が発生する。

 この原理こそ最高科学であって、一層判り易くするため、反対に考えてみる。
 すなわち天空の広さを仰ぎ見る時、これは無限大である。としたら今度は小さく考えて見ると、地上の一切は無限小である。
 というように積極即消極である。としたらこの理は人体にも当はまる。
 すなわち霊の曇りといえども超極微粒子から成立っている。すなわち不断の浄化作用によって濃度化し、個体化した霊に植物性超微粒子が発生するのである。
 これは何がためかというと、元来曇りとは水素の集合である以上、植物発生には都合がいいからである。
 そうしてこれが漸次成育し、ついに有機化してしまう。すなわちこれが黴菌の卵子であって、この卵子が成育して最初の黴菌となるが、この程度ではもちろん顕微鏡では視る事は出来ない。しかし最早生物となった黴菌は、食物が必要となり、互に食い合いを始める。
 すなわち弱肉強食的生物の自然原則である。言うまでもなく生存競争である。もちろん黴菌群中にも強者が現われ、弱者は淘汰され、強者は益々太るという訳で、この強者こそ顕微鏡で捕捉されるまでになった黴菌であって、この点人間社会と酷似している。

 右のごとくであるから、病原とは全く最初に発生した霊の曇りであるとすれば、この曇りを解消する以外、根本的治病の方法はあり得ないのである。ところが現代医学は再三説明した通り、病原である曇りの発見までには到達していない以上、真の医学とは言えないのである。

 最後に、結論として言いたい事は、右の曇りを解消するその方法である。これが可能でなくては、いかに病理の根本が判ったとしても、何ら意味をなさないのはもちろんであるが、私はこの方法を発見したのである。
 すなわち、浄霊法と言って、現に絶大なる効果を挙げつつあるのである。しからば浄霊によって、なぜ曇りが解消されるかというと、実はこの原理こそ最高の科学と言うよりも、最高の宗教原理であって、これを追求すれば神霊の実体にまで到達するのであるが、この著は第三者に読ませるのが目的である以上、出来るだけ科学的に解き、宗教的解説を避けたので、読者は諒せられたいのである。 」

 この論文に対して医学博士の三好基晴氏は次のように述べられました。

 「長年、多くの科学者は物質を細かくしていくとどこに行き着くのか、との疑問から物質の最小単位の粒子の存在を研究し続けています。
 そして分子、原子、陽子、中性子、電子まで判ってきました。しかし、これらは究極の最小物質の粒子ではないことが証明されました。
 
 中性子や陽子は六種類のクォークと呼ばれる粒子から成り立っています。その六種類はアップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジングクォーク、チャームクォーク、ボトムクォーク、トップクォークと命名されました。
 また、電子も六種類のレプトンと呼ばれる粒子から成り立っています。その六種類は電子、ミューオン、タウ粒子、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノと命名されました。今後研究が進めばさらに小さい粒子が発見されるでしょう。

 御教えに「すなわち天空の広さを仰ぎ見る時、これは無限大である。としたら今度は小さく考えて見ると、地上の一切は無限小である」と示されています。
 このことは現代科学においても「物質をどんなに細かく分けても、次々と無限の粒子があるだけで究極の最小物質を見つけることはできない。その理由は物質の最小単位は無限小であるからだ」と物質無限小を唱えている学者もいます。また、これまでの理論では説明つかない未知の粒子が存在していると分かってきました。
 物質の粒子が無限小であることが科学的に明らかになれば、どこかで霊子を発見することが出来るでしょう。そして人体は身体と同じ形と大きさの霊体があることを証明できます。

 また、現代科学においてはトマトに含まれているビタミンCも、トマトから抽出精製した高純度のビタミンCも同じ物質であると考えられています。しかし、未知の細かい粒子が発見されてくるとこの違いが明らかになり、トマトに含まれているビタミンCは人体に有害ではないが、精製したビタミンCは人体に有害であることが証明されるでしょう。
 さらに薬剤の有害な薬毒粒子が発見され、薬剤を飲むと薬毒粒子が細胞内に残留することが明らかになれば薬毒が証明されます。
 そして、病気をすることによって細胞内の薬毒粒子が消滅することも明らかになれば、病気は浄化作用であることが証明されます。

 つづく

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坂本龍馬と終末期の日本 2

『 「 日と月 」   昭和24(1949)年10月25日 岡田茂吉

 宗教上より見たる日と月について説明してみるが、これははなはだ神秘幽玄にして、コジツケとみらるる節なきに非ず、しかしこれは真理である以上、心を潜めて判読されたいのである。

 日本古代に三種の神器がある。これは璽(たま)、剱(つるぎ)、鏡という事になっているが、すなわち玉は日であり、剱は月であり、大地は鏡によって表徴されている。玉は太陽の形であり、剱は三日月の形であり、鏡は八咫(やた)の鏡と唱え八凸(はっとつ)に分れている。
 すなわち東西南北、艮(うしとら)、辰巳(たつみ)、坤(ひつじさる)、戊亥(いぬい)の八方を型どったものである。
 この三種の中で大地は判り切っていて説明の要はないが、日月については深い意味があるから、それを書いてみよう。

 ここで解りやすくするため、天理教で唱える説を借りてみるが、それは月は突きであり、日は引くという意味で、日月とは引きと突きであるという。
 これはなかなか面白い解釈と思う。それは夜の世界においては何事においても突く事を好む。大にして国と国とが互いに突き合う。
 戦争がこれである。衝突という事も突き合いである。古代における戦争は剱で突き合った事は明らかである。
 それが転化して交際することもつき合いという。文字が違うだけで言霊は同一である。突進むという言葉は勝利を意味する。全く月の働きであり、夜の世界を表わしている。

 右に引換え、ヒキ、ヒクは、退く事である。引寄せる、陣を退く、敗北する、腰を低くする――というようにすべて月と反対であり、この理によって昼の世界はすべてがヒキの働きであるから、負ける事を善しとする。
 人間では謙譲である。これでは争いの起りようはずがない。
 吾々の方では風邪を引く事を良いとしている。
 
 目的が病貧争絶無の世界をつくるというその争がなくなるのは、以上の意味から考えらるるのである。日すなわち火素の活動が主である以上、月でなく引きを心に銘じて活動すべきで、それによって多くの人が引寄せらるるのである。

 また日は玉であるから、円満清朗、円転滑脱でなくてはならないのはもちろんである。 』

 

 ・・・小生は世界救世教の開祖であった岡田茂吉という方と、リバティ情報研究所の宇野正美氏が述べられることはこれからの時代を読み取る貴重な情報ではないかと思っております。

 岡田茂吉氏は何よりも”自然界の摂理”を”規範”にすることを説かれていますが、そもそも自然界そのものは偶然に出来上がったものではなく、大いなる意思のもとに造られたものであるということに立脚しています。そして、その捉え方こそ聖書的な発想そのものであるのでしょう。

 一方、宇野正美氏は”聖書”に重きを置いております。

 それで自身の絶え間ない聖書研究によって、世界の人々の考え方や、様々な問題の根底を探り出されておられます。
 その聖書の中で、まず旧約聖書では天地創造から始まって人類の誕生、ノアの艱難、そしてユダヤ人の登場に至り、その歴史や未来感が多くの預言者たちによって記録され、救世主が現れることも預言されていたのでした。

 そしてユダヤ人の中からイエスという人物が登場します。

 そして彼の生き方、彼の行い、さらには未来感が新約聖書に記録され、彼こそ救世主であったことが、その中に述べられていたのでした。

 宇野氏はこの聖書を知ることが非常に重要であると言われました。
 そして世界の歴史の多くには、その暗部においてユダヤ問題が絡んでいたことは真実であろうと述べています。

 しかし、岡田氏自身は宗教家であり、また多くの日本人は聖書というと宗教というイメージを強く抱いてしまう傾向があります。そして、これが大きな壁となってしまうのですが、その壁を越えた向こうに、これからの時代に必要とされる大きなヒントが隠されているように感じるのです。

 宇野氏は日本の再生を考えたときに、明治政府が目指そうとした当時の国家ビジョンを見直さなければならないというような主張をされていました。

 それで前回紹介させていただいた日記がその内容でありました。その中でイエスをはじめ、吉田松陰、西郷隆盛、大西瀧治郎といった方々を取り上げられてはいるのですが、坂本龍馬という人物も、その範疇にあると思われるのです。

 それで、今年始まった「龍馬伝」には、不思議なものを感じます。それはドラマという脚色されたものではあるのですが、これからの時代を探る上で、彼の生き様というものが重要なヒントになるのではないかと思われるからです。

 そして当時を探る上で、以下のサイトを紹介させていただきます。

 1. ユダヤの日本侵略450年の秘密 太田龍・著 

  http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library408.html

 2.属国・日本論 副島隆彦・著 

 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/zokkoku.html

 3.坂本龍馬とフリーメーソン  鬼塚五十一・著

 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi023.html

 4. あやつられた龍馬  加治将一・著(以前の日記で紹介)

 http://tanjyun-tenuki.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-f2c8.html

 おそらくこのようなサイトの内容は「龍馬伝」では描かれないと思います。
 しかし、龍馬が駆け抜けた時代の歴史の表裏を眺めながら、今の時代と照合すると大事なものが浮かんでくるように思えるのです。

 そして、あの当時の日本の情勢というものが、今現在においても当てはまるのではないかと思えてしまうことなのです。

 人に押し付ける気持ちはありませんが、そのような視点でさらに見つめていきたいなぁ・・・と小生は思うようになったのであります。

 

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日本再生へのビジョン 3 2002年4月号「エノクNO.229」より

では、新たなる日本国家のビジョンとは何か。

   これを知るためには、時計の針を今から百三十年前に戻さなければならない。
 百三十年前と言えば、日本では幕末の動乱期が終わり、明治という年号が始まったときである。そのとき特命全権大使として、岩倉具視を中心とした米欧回覧使節団が日本を出発したのだった。
 
 この目的は、第一に幕末に条約を結んだ国への新政府による国書の奉呈、第二はこの条約改正のための予備交渉、そして第三は米欧各国の近代的な制度・文物の調査と研究だった。

 しかし、第二のことは問題にされず、成功しなかった。もっぱら第一と第三のことを主として遂行したのだった。
 この時、使節団の首脳として参加したのが岩倉右大臣、そして参議であった木戸孝充、大蔵卿・大久保利通、工部大輔・伊藤博文、外務少輔・山口尚芳などであり、各省派遣の専門官である理事官や書記官など総勢五十人に近い大使節団となったのである。

 彼らは約一年十ヵ月にわたって、アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、そしてスイスの十二ヵ国を回った。

 彼らはそのときアメリカで、建国後百年に満たないその国を見、自由・独立の民の存在に接した。
 島国であるイギリスでは貿易と工業立国の姿を眼前にし、フランスではパリ・コミューンの中に文明国の階級的矛盾を感じ取り、ドイツでは統一帝国成立直後のありのままの姿を捉え、ビスマルクやモルトケと会見した。そして、彼らの力の論理とその政策に共感したのだった。
 イタリアではこの国がヨーロッパ文明の根源であることを実感し、スイス、ベルギー、デンマークなどの小国では、これら小国が弱肉強食のヨーロッパ国際政治で、いかに中立・独立を保持しているかを知ったのであった。
 帰る道においては、アジア・アフリカの植民地・半植民地化の実態をかいま見、アジアそのものが未開であるという判断を下したのだった。
 さらに、そのようなアジアの中の日本が、ヨーロッパ化=近代化の能力を持たなければならないという自負心に燃え、その発想によって脱亜入欧を図ることがそのまま近代化につながるとしたのであった。
 特に彼らが感動し、力を込めて見たのはイギリスだった。

 当時(今日においてもそうであるが)、イギリスは都市ではなく、地方において非常に美しい田園がどこまでも広がっていた。田園と言っても、いわゆる庭ではなく、国全体があたかも庭園であるかのごとく美しかったのである。
 当時の日本も非常に美しかった。
 それゆえにとでも言おうか、彼らはその美しさには感動しなかったのである。
 イギリス人は昔から今日に至るまで、次の言葉をことわざのようにして捉えている。
 「都市は人間が作ったが、郊外の美しさは神がおつくりになった」
 イギリス人は都市の発達とともに、自分たちの心の安らぎ場、あるいは美意識を満足させる場としての地方の美しさを重んじていたのである。
 その地方の美しさをそのまま各家の庭園、都市の美しさとしていると考えるべきだろう。


  - 国家建設の礎、それは美意識 -

 ついでに述べるならば、オーストリアの町は非常な美しさを作ってはいるが、各居住区としてはそれほど美しくはないヨーロッパの真ん中にある。オーストリアの人々はこのような中で一生を送るのだろうかと私たち日本人は考えがちである。しかし、それは完全なる誤りなのである。

 彼らはほぼ例外なく、郊外の美しい自然の中に別荘を持っている。さらには、冬の寒さを避けて南の暖かい国でのバケーションを楽しむ生活スタイルを保っている。
 ロシアでも同じである。一九九一年十二月にソ連が崩壊した。それまで豊かと思われていたソ連は一気に貧しさの中に陥ったのである。そのとき多くのロシア国民はどのようにしてその苦しさを凌ぐことができたのだろうか。彼らもまたサンクトペテルブルグやモスクワの大都市での生活がすべてではなく、郊外に必ずと言ってもいいほど別荘を持っている。
 ロシア人たちはその別荘で農作物を作り、自然の中で生活を楽しむことを知っているのである。

 それに比べて日本人の多くは都会だけで生活し、その一生を終わっていく。何と狭い住宅で、そして何と公害に溢れた地域で・・・・・。
 しかし、欧米人たちはそれとは全く異なった人生観、自然観、そして美意識を持っていることを知っておかなければならない。
 
 この岩倉具視一行が今から百三十年前、本当に美しいイギリスの郊外に目を奪われていたならば、そして本当の意味での美意識を持っていたならば、日本が進むべきモデルはここにあると考えたのではないだろうか。

 すなわち、郊外の美しさとバランスを取った都市生活である。
 しかし、彼らは日本の美しさを当然とするあまり、地方の美しさに心が向かなかったのである。その代わり、彼らが視察記録に詳細に書いているのは、産業革命を生んだイギリスを重視し、工場地帯や産業施設に心が奪われたのだった。
 その中には鉄道工場があり、紡績工場があり、木綿織物工場があった。
 その他、彼らが時間をかけて見学したのは造船所、兵器工場、火薬製造所、鉄砲工場、鋳型工場、製糖工場などであった。

 このように岩倉一行がイギリスから学んだ見習うべき点というのは、商工業を盛んにし、貿易を行い、利益を上げ、国力や軍事力をつけ、列強の仲間入りをするということだったのである。すなわち、産業や経済的側面に一番眼を開かれ、これが大きな刺激となって、やがて日本は殖産興業、富国強兵への道をまっすぐに突き進んでいったのである。

 以後、日本国家の辿った道は、この岩倉具視たちが敷いたレールそのものだったのである。
 確かにその成果は日清戦争、日露戦争勝利によって伺い知ることができる。やがて日本はその延長線上で、いわゆる世界の一等国に属するようになったのである。

- 一等国への道、戦争への道 -

 しかし当時、欧米を中心とした一等国というのは白人社会に過ぎなかった。それゆえ黄色人種の日本国家にいつまでも温かく参加が許されるはずはなかったのである。

 確かに日露戦争で勝利した。当時、世界第一の陸軍国と言われたロシアに勝利した。しかし、日本国家はこれを境にゆっくりと崩壊への道を歩み始めたのであった。
 なぜならば、第一に日露戦争勝利によって日本国民は非常に傲慢になった。それまでは多くの国から学ばなければならないという謙虚な心があり、向学心といったものがあった。しかし、この戦争を契機にして、日本国民は傲慢な心に取りつかれ、自分たちもまた世界を指導することのできる国家になり得たと考えたのである。

 ますます軍事費は増強され、一般国民の生活は依然貧しい状態に置かれることになったのである。
 第二に、今から思えば日露戦争は一回で終わっている。しかし、当時としては敗北したロシアは必ず第二次日露戦争を仕掛けてくるだろうと考えられていたのである。
 そのため、軍事力増強をバネにして、日本国家の成長を図る路線が取られたのである。

 このようなことで分かるように、日本は一等国になったとはいえ、文化面や美意識においてはそうではなかった。軍事力増強がすべてだったのである。
 厳密に言えば、確かに第二次日露戦争は起きた。それは第二次世界大戦末期。一九四五年(昭和二十年)八月九日のことだった。


 八月九日と言えば、長崎に原爆が投下された日である。世界歴史において原爆の第二弾が投下されたその日である。しかも、八月十五日の終戦まで、あとわずか一週間という時であった。
 当時、満州では多くの日本人が軍人として、開拓民として滞在していた。
 その八月九日、ロシア軍(ソ連軍)は全力投球でその満州に入ってきた。それまで長きにわたって精鋭軍団と言われていた関東軍はたちまちのうちに崩壊し、多くの難民が生まれ、六十万人にも及ぶ日本兵はシベリア方面へと連れて行かれたのだった。
 それよりも約三ヵ月前にドイツは崩壊し、降伏していたので、ソ連軍は西からの攻撃を一切心配することなく、全力で満州に入り込むことができたわけである。しかも、対ドイツ戦で使った多くの兵士をそのままシベリア鉄道に乗せて東に移したのである。
 
 この八月九日の日ソの戦いは独立した戦争であるかのごとく捉えられている。しかし、これこそが第二次日露戦争だったのである。
 ソ連という名に変わろうとも、ロシア人はロシア人だったわけである。
 彼らはかつての恥辱を果たすために、死力を尽くして日本軍を攻撃したのである。
 日本軍の惨敗は目に余るものがあった。かつてのノモンハンでの戦いによる敗北以上に、この時の敗北は惨めなものだった。

 戦争とはこのようなものである。血は血を呼び、戦いは戦いを呼ぶ。
 日露戦争の勝利で日本国民は酔っていた。多くの花電車や提灯行列が出ただろう。何よりも軍人が傲慢になり、幅を利かせたのである。
 日露戦争の講和条約を結ぶために、日本からポーツマスに遣わされた小村寿太郎外相は、日本に帰ってきた時どのような仕打ちを受けたことだろうか。彼の家は焼き払われ、暴徒によって取り囲まれていたのである。
 岩倉具視使節団の敷いたレールは、このような結末を日本にもたらした。


 - 強欲か、足るを知るか -

一九四五年(昭和二十年)八月十五日、日本全土が焦土と廃墟に帰していたと言っても過言ではない。
 しかし、事はそれで終わったのではない。その戦争の五年後、一九五○年六月二十五日、朝鮮戦争が勃発した。

 このとき国連軍と言っても、アメリカ軍を中心とした連合軍はやがて対北朝鮮攻撃を本格化させていった。その後方基地として日本が重宝がられたのである。
 この朝鮮戦争は日本を活気づけるために大きな役割を果たした。言葉を換えれば、この戦争がなかったならば、日本における高度経済成長はあり得なかったかもしれないのである。
 しかし、よく考えてみれば、これもまたあの岩倉具視使節団が敷いたレールでしかなかったのである。
 経済を強くすることがそのまま日本国民の幸せになる、工業力を付けることがそのまま日本を先進国にさせる・・・このような考えが先行し、そこには美意識というものは一切なかったのである。

 一九六六年(昭和四十一年)を過ぎる頃から高度成長の結果が日本列島全体を覆うようになった。公害の発生である。水俣病、イタイイタイ病、四日市公害問題、各都市での自動車排気ガスや工場からの煤煙・・・。

 やがて美しかった瀬戸内海は汚濁の運河となり、大阪湾も死の海となっていった。
 このようなことは日本各地で見られるようになった。その上、日本人の身体の中からその結果が生じてきたのである。
 農薬が使われ、化学肥料が使われ、さらには公害の結果として、それまでなかった病気が多くの日本人の身体を蝕むようになった。
 今日、日本国家で最も多くの出費がなされているのは他でもない医療関係費である。すでに三十兆円に手が届こうとしている。
 今日ほど、いわゆる科学が進歩した時代はない。同時に医療が進歩した時代はないだろう。
 しかし、今日ほど多くの日本人が病に冒された時もなかったのである。
 新たなる問題もやがて出てくるかもしれないが、その起点が今から百三十年前の岩倉具視一行が敷いたレールであると言っても過言ではないだろう。

 今ここで日本は新たなる国家ビジョンを描かなければならない。
 小泉政権は必死になってデフレ政策を講じようとしている。不良債権の処理、株式市場対策、中小企業対策、そして財政・税制問題である。
 しかし、よく考えてみればこれらはかつての路線の延長線上に過ぎないのである。

 では新しい国家ビジョンとは何なのか。
 やはり百三十年前に私たちの心を戻さなければならない。

 すでに当時のイギリスに完全なるモデルがあった。都市は確かに便利に作られていた。そこでは工業が起き、多くの建造物が造られ、時代の先端を行った運河も切り開かれていた。
 しかし、同時にイギリスの郊外は絵のように美しかったのである。その美しさは今も変わることなく、いっそう磨きがかけられている。
 工業とともに、庭園国家がそのビジョンとなるべきなのである。

 - かつての日本は「庭園国家」 -

 日本があたかも世界の工場であるかのように、より安いモノをより多く作り、世界にばらまくことがこれから日本の進むべき道ではない。

 より安いモノをより多く世界にばらまけば、対日貿易摩擦が起きたように、世界各国との間に貿易摩擦が起きることは目に見えている。しかもいつまでも日本が世界の工場であり得るはずはない。中国に代表されるように、多くの国々が日本の後を追い続けている。


 日本人口一億二千万人の生活に必要な分だけ使わせていただいて、その中の余った部分を海外に輸出すればよい。
 石油などエネルギーを輸入しなければならないだろう。しかし、日本国家のある部分を庭園国家として育てていくならば、新しいエネルギーの開発にも臨まなければならないのである。

 日本列島の周りには素晴らしい海が広がっている。黒潮も流れている。そして、エネルギーを生み出すであろう良き風が日本列島の上に吹いている。
 ここに新たなるエネルギーのヒントが控えているように思える。


 日本を新たに庭園国家にする・・・明治の初め、日本を見たイギリス人たちの感動の言葉は、今から思えば皮肉のように聞こえてくるのだろうか。

 「 私はイングランド、スコットランド、アイルランド、スイス、イタリアの湖という湖のほとんどすべてを訪れているが、ここはそれらのどこよりも素晴らしく。それら全部の最も良いところだけとって集めて一つにしたほどに美しい。奇妙な形をした山や丘陵のいくつもの集合は、どれも藪や茂みや樹木に豊かに覆われて、光輝く緑の絨毯のような空隙地と調和を保ち、それらのたたずまいが間を縫って走る狭い水路や湾や入江をあまりにも魅力的に見せ、もっと奥を見たいという誘惑に耐えるのは容易ではなかった。我々は余りにも豊かな自然の恵み、次々に移り変わって終わることを知らない景観の美しさに呆然としてしまった 」(トマス・クック)

 「『岸辺に寄する波風は 疲れ果てしか、絶えだえに うめくが如く泣くばかり 平穏の日ぞ、 遂に来たれり』

 平穏以上の日であった。天国の朝かと思う日であった。紺色の空はあくまでも雲一つなく、青い海はダイヤモンドのように輝き、美しい小さな湾の黄金色の砂浜は、多くの輝く微笑を浮かべているかのようにきらきらしていた。

 四十マイル離れた向こう側には、噴火湾の南西端を示す駒ヶ岳の桃色の頂上が柔い青霞の中にそびえ立っていた。すがすがしいそよ風が吹き、山は黄褐色に色づき、森は黄金色にきらめき、あちらこちらに真っ赤な色が散っていて、深まりゆく秋の紅葉の先駆となっていた。一日が美しく幕を開けたように、美しく日は閉じた。

 私は刻一刻と過ぎゆく時間をどんなに引き止めたいと思ったことだろう。私は自然の美しさを満喫した」(イザベラ・バード)

 これは北海道の噴火湾を見た感想である。今日でもこの噴火湾は非常に美しい。しかし、そこでどのようにして漁業を営むかが考えられている。日本人がこのイギリス人のように、その美しさに心が奪われるほどになるのはいつのことなのだろうか。

- 今こそ美意識の教育を -

日本人がその美意識を高められ、その自然の美しさに心を奪われるようになるならば、日本国家のあり方、経済のあり方、生活のあり方、教育のあり方・・・等に大きな変化が起きることは間違いないのである。

 なぜ日本人はその美意識を失ってしまったのだろうか。

 はるか昔から日本人は俳句を作り、なお昔から短歌を作ってきた。
 今日、日本人はその俳句や短歌をはるか昔のもののように考えている。
 俳句などは右脳を働かせる最高の芸術品なのである。
 右脳は直感力、美意識、情緒・・・などを受け持つ部分である。

 かつての日本人はその右脳が非常に発達していた。それゆえに、江戸時代が鎖国の時代であろうとも、その中から生まれた芸術品は、世界のいかなるものとも比較することができないほどに素晴らしく芸術性の高いものだったのである。

 誰もが知っているあの芭蕉の俳句。
 「古池や 蛙飛び込む 水の音」

 もしこの俳句を単に英語で翻訳するならば、何の意味もないものになってしまう。
 多くの欧米人たちはこのようなものは芸術ではないと抗議するに違いないだろう。
 しかし日本語でしかも右脳で感じるとき、それが素晴らしい芸術の極致、また俳句の極みであることに気が付くのである。
 蛙が古い池に飛び込んだ、その音が素晴らしいのである。またそれ以上に静けさを強く感じることができるのである。

 今からわずか六十年ほど前、日本の多くの若者は兵士として戦場に赴いていった。
 そのとき彼らは辞世の句を詠んだ。
 特に特攻隊員が作った辞世の句には非常に美しく、素晴らしいものが多い。
 なぜ彼らは死に臨んで、そのような美しい辞世の句を作ることができたのだろうか。彼らはそのような教育を受けていたのである。
 このことは非常に重要なことを表している。

 今日でも日本人が、それも学校教育の時代に、より多くの時間で古典を教えられ、俳句や短歌を作ることを教えられ続けるならば、あるいはかつて作られたそれらを暗記する教育を与えられたならば、自然に対する感覚が全く異なってくるのである。
 日本全体がどれほど美しい芸術作品そのものであるかを発見するのである。
 しかし、第二次世界大戦が終結し、GHQ(連合軍総司令部)が日本にやって来て、その教育方針を定めたとき、これらを教えさせないようにしてしまった。

 残念なことに、その瞬間から日本人は自らの歴史、自らの芸術の美しさを感じることができなくなってしまったのである。
 民族がその歴史を失うとき、民族は漂流すると言われている。
 そのことを知っていたGHQのメンバーは、まさに日本において、しかも憎しみを込めて学校教育を変貌させてしまったのである。

 - 日本人よ、美と感動を -

 いまや日本人は美しい国にいながら、その美しさが分からない。さらに、その美しさをいわゆる生活の便利さのためという口実で崩壊させていくことに、何の咎めも感じることができなくなってしまったのである。
 丘が切り開かれていく。そのとき建設会社は美しい雑木を一本も残すことなく切り倒していくのである。
 そして、あたかも将棋盤のような住宅地を作っていく。確かに見晴らしはよいかもしれない。しかし、そこには自然という不思議なメカニズムの中で作られた美は失われてゆくのである。

 人間が優先され、人間の考えによって作られていく・・・・そこには本当の美はない。

 そのような所で生活する日本人たち、なかでもそこで生まれ育った子どもたちは、自然そのものの美しさに触れることができなくなってしまう。
 かつては都会でも自然の美しさというものがあった。道は土だったし、海には海水浴場があった。川ではウナギの稚魚まで上っていく光景を見ることができたのである。
 しかし、今日の都会はどうだろうか。車が優先され、アスファルトが敷き詰められている。確かに公園はある。しかし、それは作られたものであって、自然の草は生えていない。
 都会の公園では蛇などを見ることはできないのである。

 私たち日本人は余りにも間違ったコースを歩き続けた。百三十年間、今日に至るまで何の疑いもなくその道を歩いてきたのである。
 それは先祖たちが築いた歴史との決別であったことも知らなかったのである。
 日本人は何と単純な意識を持たされたことだろうか。テレビを見、あの小さな画面の中に映し出されるものが本当の自然であるかのような錯覚を持つようになった。
 自然は破壊され、都会はいよいよ荒廃したものとなり果てていく。
 このまま日本は崩壊の道を辿るべきなのだろうか。決してそうではない。日本は新しいビジョンを持って蘇生しなければならないのである。

 新しい政治家たちはこの新しいビジョンによって日本を作り直すべきだろう。
 今までのようないわゆる国民総生産を生み出す必要はない。生活レベルがダウンしてもよい。
 この日本を美しく保つならば、衣食住は満たされるはずである。
 今日、多くの日本人は海外旅行をする。年を取った多くの人たちは結局、「やっぱり日本が良かった」という感想を述べるだけである。
 それならば、よりいっそう美しい日本を作り、そのための教育課程を作ればよいのである。

 では、新しい日本建設のエネルギーはどこから出てくるのだろうか。

 それは偉人たちが残していったエネルギーによってである。

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